2011年8月30日火曜日

Diamond Star!

先日驚きのニュースを発見。


なんと、『地球から4000光年はなれた銀河系内にダイヤモンドで出来た惑星がある』というニュース。
 地球の約5倍の直径のその星は、高密度のパルサー(一分間に一万回近い速さ!で自転しているらしい)と呼ばれる恒星の周りを二時間程で公転しているそうです。
二つの星の間隔は60万キロ、地球と月の距離の倍以下の近さだから、なんともめまぐるしい話。
 どうやら、そのパルサーの強力な重力で表面の物質がはぎ取られて密度の高い部分だけが残ったらしく、炭素や酸素で出来ていてダイヤモンドの様な結晶質で出来ている可能性が高いそうです。
 まあ、宝石用のダイヤの様に無色透明とはいかないだろうから、不純物のせいで様々な色になってる可能性が考えられますね。
 もちろんカットも研磨もされてるわけでは無いので、いったい表面がどんな風に成ってるか想像もつきませんが、結晶の劈開面が露出していたらきっと光も反射するだろうから、近く迄行けばキラキラしてるのかもしれません。


 まさか惑星自体球形ではなく巨大な単結晶なんてことは無いと思うけど、美しくブリリアントカットに研磨された巨大な惑星が猛スピードで宇宙空間を光を反射させながらコマの様に廻ってる様子を想像すると楽しい!


 光の速さで行っても4000年かかるから今観測されている姿も4000年前の姿。
実物をこの目で見る事は叶わないけど、でもおかげで想像の世界で遊べます。
 無限に広い宇宙には想像もつかない星があっても不思議はないから、ダイヤで出来た星の周りにルビーやエメラルドの衛星が月の様に廻ってる、なんて事があるかもしれない。


でも考えてみると、既に私達の地球も暗黒の宇宙に青く輝く宝石の様に見えるんだろうな。
アポロ計画で月から帰還した飛行士達は、灰色の月面から青い地球を見上げて感動したと聴きます。
宇宙を調べる事は、地球の貴重さを再確認すること。
私達にとって唯一無二のこの地球を大事にしないとね。
環境破壊したり放射能で汚してはいけないんだよね。



2011年8月27日土曜日

夏の終わり秋の始まり

しばらく更新をさぼっている間にも季節は少しずつ秋に近づいてるようです。
散歩の途中で見かけたヒマワリは夏が断末魔悲鳴を上げてる様にも思えます。
近所の住宅街の真ん中にあるブドウ園も収穫の時期に成って週末早朝に開放してぶどう狩り。
暑さも一服して秋を感じる日も多く成りましたね。

そして今日は生徒さんから美味しい鱒寿司を戴きました。



幼稚園児だったころ、二年間程石川県の金沢に住んでいました。
父が仕事の出張で大阪に行って帰って来ると、必ずと言っていい程駅弁の鱒厨子を買って帰って来て、帰宅が遅かった時でも母は寝ている私達子供を起こして、家族皆で食べました。
今思えばアレは冬だったような気がします。
今と違って冷蔵施設が整っていなかったでしょうから、夏は売れなかったろうと思います。
子供の頃の記憶ではもっと鱒の身は紅かった様な気がするのですが、当時の事だから着色してた?
 最近はコンビニのオニギリにも一口サイズの鱒寿司があって、赤飯のオニギリ同様見つけるとつい買ってしまいます。
で、食べる度に子供の頃眠いけどコタツに入って食べたのを思い出すのです。



2011年8月15日月曜日

映画『フラメンコ』カルロス・サウラ

 アヤ子さんのブログカルロス・サウラの名前が出て来たので、懐かしく成りました。
かつて『血の婚礼』『カルメン』『恋は魔術師』等のフラメンコ三部作で、アントニオ・ガデス、クリスティーナ・オヨス達を世界に紹介してフラメンコの素晴らしさをワタシに教えてくれました。初めてガデスの踊りを見た時はホントにその格好良さにシビレマシタ!
http://youtu.be/lWvM2VlRD6k
その監督がイタリアの撮影監督、巨匠ヴィットリオ・ストラーロと組んだ作品
『フラメンコ』
http://youtu.be/TLJjHwVj1Mk
 アンダルシアの古い駅舎を撮影スタジオに改装して、ホアキン・コルテス、ギターのパコ・デ・ルシアを始めスペイン中のマエストロ達が集まり様々な演奏や踊りを披露してくれます。


 先の三部作と違って、ストーリーがある訳でもなく、出演者も美男美女ばかりではないのです。
なんだか、商店街の会長さんとか農協、漁協の支部長さん、婦人会のベテラン、を思わせるごく普通の初老の男女が歌い、踊り、奏でる歌や踊りが、なんと切なく熱く胸に迫る事か。
いずれも恋や愛の歌が多くて、男と女の出会いや別れ、その歓びや離れている切なさや時には恨みと言う、愛を巡る情念の世界。


 日本なら『いい歳をしてそんな歌を歌うか』という内容の歌を、シワだらけの顔で金歯むき出しで歌うのですが、封切り時に映画館で見ていて、なぜか不覚にも涙してしまいました。
考えてみれば愛する事は人が人として生きている歓び。
幾つに成ってもその年代相応の恋をして歓び悲しむ事は、生きている事を楽しむという事ですものね。
その歓びをおおらかに歌い上げる事は、考えてみれば決して恥ずかしい事ではないですね。


 歌い手とギターが組んで高らかに唄い上げると言うのを見ていて、なんだか日本の文楽・義太夫を思い出してしまいました。
こちらも歌い手の太夫は、名人と言われるのはみなさん七十代以上。
 実際に劇場に出かけて太夫と三味線の近くに座ると、噴き出る汗が飛び散らんばかりに唄い上げて、変な話ですが血圧が上がり過ぎてどうにかなってしまわないか心配になる事もあります。
 しかし唄う内容はあちらとは違って不条理な悲しみです。
不義の愛故に心中するとか、主君への忠義の為に我が子や家族を殺すとか・・・。
当時の社会の規範に添う為に、人間としての情愛を犠牲にしなければならなかった人の哀しみを唄い上げるのです。
社会の安寧の為の自己犠牲が賛美される・・・。
どうやら伝統的な日本文化の根底に流れていたこういった精神が、現代に至ってもまだまだ流れているのかもしれません。
日本人の美徳でもあり、欠点にもなり得るところでしょうね。


 しかし映画『フラメンコ』を観ていて、かの国のフラメンコの層の厚さに感心しますね。老若男女が集って同じ曲で唄って踊れるって素晴らしい事だと思うのですが、日本にはそんな歌や踊りがあるでしょうか。夏祭りの盆踊りくらいしか想い起こせません。
 たしかスペインには国立のフラメンコの学校があったと記憶してます。
翻って、日本にはフラメンコの様な日本の民謡や郷土芸能を教える国立公立の学校が無い。
たしか芸大には邦楽科が在ると思ったけど、数少ないエリートにのみ伝承しても裾野を拡げてやはり子供の時から慣れ親しんでいないと、文化は継承していかないのではないだろうか。
 ・・・といって、公立小中学校で音楽の教員が邦楽の授業、というのは違うだろうな。
義務でやらせても楽しくないし、こういう事は地域密着世代間の伝承でないとね。
地域の伝統に誇りを持ち、仲間や年長者を尊敬する気持ちも養えない。
その点、日本各地にねぶた、岸和田だんじり祭り、京都祇園祭、越中風の盆、阿波踊り等の、世代を超えて構成され伝承されるお祭りが残っているのはまだ救いがあるかな。

年に一度、祭りの為に老若男女が力を合わせる。
そんな思い出が毎年積み重なって、男も女も祭りと共に成長して行く。
そんな祭りを持っている地域に生まれて暮らす人は、幸せだなあと思います。


閑話休題、映画『フラメンコ』・・・上記のアドレスでYouTubeでも続きを見る事が出来ますが、DVDで出てる筈です。
DVDなら歌の歌詞の和訳も字幕で判ると思うので、お薦めです。

2011年8月11日木曜日

『耳をすましてごらん』

前回、森山良子さんのノビのある美しい歌声を聞き、思い出したのが本田路津子さん。
彼女の透き通る様な清浄な声は本当に心にスーッと染み通るようでした。
彼女の声に初めて触れたのは、1972NHKの朝の連続ドラマ『藍より青く』の主題歌。


『耳をすましてごらん』
http://youtu.be/eOuc54PK2RE
毎朝聞こえて来る歌声は当時のワタシの頭の中を通り過ぎて行っただけでしたし、ドラマも時報代わりにしか見ていなかったのですが。


 ドラマの脚本家 山田太一氏が作詞、音楽担当の湯浅譲二氏が作曲だったそうで、大人に成ってふとした機会に聞き直して、好きに成った曲です。
歌詞はやはりドラマの内容を反映してるのでしょうが、それとは切り離しても彼女の歌声には説得力が在って、なぜか涙がこみ上げてくるのです。
こんな静かな歌なのに生きる気力が湧いて来る様な気がしたのです。

『耳をすましてごらん』

耳をすましてごらん
あれははるかな海のとどろき
めぐり逢い 見つめあい
誓いあったあの日から
生きるの強く ひとりではないから

旅をつづけてはるか
ひとりふり向く 遠いふるさと
想い出に 幸せに
寂しくないわと 微笑んで
生きるの強く あの海があるから

空を見上げてごらん
あれは南の 風のささやき
時はすぎ 人は去り
冬の世界を 歩むとも
生きるの強く あの愛があるから


 しかし、森山さんといい本田さんといい、この時代の歌手というのは本当に唄が上手くて声のきれいな人が多かったという印象があります。
モチロン現代の様にカラオケが身の回りに無く、素人が歌声を披露する機会等無かったですからね。人前で歌う、というのにまだまだ抵抗が在った時代でした。
つまり自分の歌声に自信があって、なおかつ実力を認められなければTVには出られなかった時代でしたねえ。


 作詞、作曲、歌唱いずれも実力あるプロの仕事を感じさせる作品。
こういう唄が時代を越えて歌い継がれて残って行くのだろうなと思います。


2011年8月10日水曜日

『さよならの夏』

 先日観に行った映画『コクリコ坂から』CMがまだTVで流れていて、その耳に心地いい主題歌がなんとなく気になって調べてみました。
映画を見る時は歌詞をあまり気にせずにいたので、いったいなんて歌っているのか知りたく成ったのです。
 最近の歌にしては歌詞にどことなく古風な匂いがして、歌っている手島葵さんの声の質感も相まってなんだか品が良い歌だなあと思っていました。
不勉強で知らなかったのですが、1976年に森山良子さんが歌った歌で横浜を舞台にしたTVドラマにも使われていた事が判明。


 35年も前の歌だった事にも驚きましたが、歌い手が違うだけでこんなにも印象が違うと言う事にも驚きました。
それにしても素敵な歌詞ですね。

『さよならの夏』
作詞 : 万里村ゆき子
作曲 : 坂田晃一

光る海に かすむ船は
さよならの汽笛 のこします
ゆるい坂を おりてゆけば
夏色の風に あえるかしら
わたしの愛 それはメロディー
たかく ひくく 歌うの
わたしの愛 それはカモメ
たかく ひくく 飛ぶの
夕陽のなか 呼んでみたら
やさしいあなたに 逢えるかしら

だれかが弾く ピアノの音
海鳴りみたいに きこえます
おそい午後を 往き交うひと
夏色の夢を はこぶかしら
わたしの愛 それはダイアリー
日々のページ つづるの
わたしの愛 それは小舟
空の海をゆくの
夕陽のなか 降り返れば
あなたはわたしを 探すかしら

散歩道に ゆれる木々は
さよならの影を おとします
古いチャペル 風見の鶏(とり)
夏色の街は みえるかしら
きのうの愛 それは涙
やがて かわき 消えるの
あしたの愛 それはルフラン
おわりのない言葉
夕陽のなか めぐり逢えば
あなたはわたしを 抱くかしら

 森山良子さんのノビのある艶やかな声で聴くと、夏の日差しにきらめく海を丘の上から見下ろしている感じです。TVドラマの主題歌にはピッタリだし、なんだか大人の恋愛を予感させます。
 そして、今回の手島葵さんのちょっとかすれた様な穏やかな声で聴くと、火灯し頃の夕暮れの街の背景に夕映えを写した海が見えてなんだかノスタルジック。
制作サイドのキャスティングが今回は上手くはまったみたいです。

 作詞の万里村さんは当時おいくつくらいだったのか解りませんが、きっとその年齢でしか書けない歌詞だったのでしょうね。
今回の映画化に際して(二番の?)歌詞をワンコーラス書き足したそうですが、35年も経って自分の歌がまた脚光を浴びると言うのは、当時を思い出して懐かしくもあり、嬉しい様な恥ずかしい様な不思議な気分ではないでしょうか。

宮崎駿さんはこの歌について
「人を恋する歌」と表現し、「繰り返し繰り返し、人は人を愛する。その初々しい気持ちが大切だと思う」
と話してらしたそうですが、初々しい恋心と言うのは歌詞にもあるとおり、さざ波にも揺れる小舟の様なものでしたね〜。。
時代を越えて今の若者も人を恋する気持ちと言うのは変わらない、と思いたいですね。




2011年8月8日月曜日

出逢って良かった・・・

『出逢って良かった』
というのはいろんな分野で皆さんそれぞれお持ちでしょうね。
今回はマンガについて。


 子供の頃から30代半ば迄いろんなマンガ、劇画のたぐいを読んできましたが、面白かった作品やお薦めの作品はあってもその中で『出逢って良かった!』と言える程の作品と言うのはそうそうありません。
まず、常識的にこれは絶対外せないのはやはり巨匠・手塚治虫
『火の鳥』シリーズ。
輪廻転生、因果応報をテーマに、時の流れを飛び越えた壮大なストーリーと、精緻で時として斬新でダイナミックな画面構成。
時折読み返してみても毎回新しい感動を与えてくれるのは流石です。


『ゴルゴ13』
 言わずと知れた長寿作品。
東西冷戦時代から現在迄、ターゲットの選定とその理由をとおして、現実社会がどのようなバランスで保たれているのかを教えてくれました。
又、ニュースで取り上げられる事件や出来事には、表向きの話だけではなく公にされない裏があるかもしれない、という目も養えました。
それにしても、いつもキリッと刈り上げられた彼の頭髪。一体どうしてるんでしょうか。
床屋は決まってるのかなあ。
年齢からして白髪があっても不思議ではないし、染めてるのでしょうか?
その最中も、懐にはS&Wが・・・。
やはり謎の多い男です。


 それにしても、ここまで長寿だと、いったいどうやって終わりにするのか興味深いシリーズです。



『博多ッ子純情』長谷川法世


70年代の博多を舞台に中学生から大学生迄、男として成長して行く主人公を軸に、友情・恋愛・親子の情を描いた作品。
 博多といえば祇園山笠という祭りが有名ですが、それを初めて知ったのもこの作品。
なにもかも忘れて夢中になれる祭りがある、そんな故郷を持ってるって羨ましいなあ、と思ったものです。
主人公の恋愛もストーリー大きな軸になってるのですが、携帯はおろかポケベルも無かった時代には、恋愛と言うのは時間をかけて育むものだった、と言うのが解ります。


筆に墨で描かれた味のある絵も魅力ですが、主人公が悩みながらも”男”として自分の道を見つけて成長して行く様、それを見守る周囲の暖かい視線。父と子の葛藤。
名作だと思います。


 果たして女性に理解されるかどうか解りませんが、男心を知りたい女性には参考に成るかもしれません。
再販されて文庫本で出てるみたいですね。

『首斬り朝』小池一夫・小島剛夕
このコンビは『子連れ狼』で有名です。
なにより画力がスゴイ!


 舞台は江戸時代で主人公は浪人なんですが、代々「お試し役」といって、簡単に言うと刀の切れ味を試す仕事をしています。
只の刀だけでなく御公儀から将軍の刀の切れ味の鑑定も依頼されるのです。
刀の切れ味を見極めるこの技術は試刀術というのですが、藁束や竹を斬ったその最後はなんと人間を斬って試すのです。
 斬首刑となった犯罪者の首を斬り落とす役目を引き受けたり、斬首刑後の胴体を重ね斬りしたりして依頼主から預かった刀の斬れ味を試す、という壮絶な仕事。
 絞首刑すら賛否両論の今の日本では考えられない、そんな仕事があった事にも驚きましたが、なんと明治になっても暫くは後代の山田浅右衛門によって残首刑は執行されていたと言うのを知って二度ビックリしたものです。
更に、後に自分で調べて知った恐るべき山田家の副業にはもっと驚かされましたが・・・・。

 主人公の技量についてはまあフィクションの部分もあるかもしれませんが、彼の生き様には心打たれる物がありました。
 斬る相手が罪人とは言え、日々人の生死の境に立ちその命を冥土に送り届けている彼が、主君を持たない浪人であるが故に自らを厳しく律してとして生きようとするその精神、見習いたいものです。
 ただ、後半になるとストーリーに詰まってしまったのか主人公も変わってしまう感があり、あまり有名な作品では無い様ですね。
古本屋で探すしかないかも知れません。


 後半の二つ。まさに『人は、人として生まれてくるのではなく、人に成るのだ』という言葉を想い起こさせる作品だと思います。
接する機会があれば是非お薦めします。



2011年8月7日日曜日

読書『江戸巷談 藤岡屋ばなし』

最近、本棚の整理をしたせいで、昔買った本を読み返しています。
『江戸巷談 藤岡屋ばなし』鈴木棠三
ちくま学芸文庫
 数年前買った時は、ベッドサイドに置いて寝る前に面白そうな所を気の向くままに乱読していたのですが、そんな本が何冊か溜まると自然に積ん読(つんどく)になってしまっていたのです。
どんな内容かというと、文庫のカバーに書かれた宣伝文句が以下のごとし。


『時は幕末、外神田のお成道に、筵いっぱいに古本を並べて商う一人の老爺があった。この男、“御記録本屋”藤岡屋由蔵、日がな一日、素麺箱を机に黄半紙に禿筆でなにごとかを書き付け、吹きつける砂塵のなかで悠然として筆を休めることがない。―この集積が『藤岡屋日記』である。小説をはじめさまざまな著作の種本ともなった珍談・奇談の宝庫であり、世相・風俗・政治情報の貴重な記録だが、あまりに浩澣すぎて、また雑多すぎて、敷居が高い。そこで一般の読者のために、おもしろい話を選んで編んだのが本書。世相の鏡、小説より奇な『藤岡屋日記』の世界へようこそ。』


 まさに江戸時代を舞台に『事実は小説より奇なり』を地でいくような、まあ今で言う週刊誌や日刊紙ネタの数々が満載です。
決して歴史の表舞台に出て来ない人物が起こした、これまた歴史にはたいした影響を与えなかっただろう事件の数々を見ていると、当時はとにかく御家の体面が大事というのも見て取れます。
同時に、人間って時代が変わっても、その行動に愛憎とか欲望が大きく関わると言うのは変わらないなあ、と思います。


さすがによく判らない話もあるのですが、著者の解説があるので安心。


現在出版されているか不明ですが、Amazonでは中古が買える様です。



2011年8月5日金曜日

イタリア帰り

 今日の午後はイタリア帰りのMisiaさんと会いました。
以前土曜日のクラスに通ってらしたMisiaさんのブログは、リンクしているのでご覧になった方も多いと思いますが、現在イタリアのフィレンツェでジュエリーを勉強中。
今回は夏休みで帰国されたそうです。
これまでに制作した課題を何点か持って来ていただき、ブログに掲載された実物を見せていただきました。
向こうの学校の授業の進め方や先生の指導のしかた等、様々な日本との、というよりワタシが教えている学校との違いを伺ったりして、勉強になる楽しい午後でした。
帰り際にお土産です、と戴いたのがコチラ。
チーズとジェノヴェーゼソース(というのだったかな)。
美味しそうなチーズなので、戴くのが楽しみです。

 ところで、今日は待ち合わせ場所まで歩いて行ったのですが、自宅から最寄りの駅迄歩いて行く途中、住宅街の中に小さな葡萄園があります。
 前を通る度に少しずつブドウが実って行く経過を見られて楽しいし、熟すと近所の住民に販売してくれます。皆さんブドウ園に入って自分で収穫して行かれる様です。
観光地気分でぶどう狩りを楽しめる訳で、近所の子供達には楽しい夏休みの想い出になるでしょうね。
 とはいえ、葡萄園を開放するのは毎回週末のせいか早朝から入り口に行列が出来ているので、ここに住んで長いのですが一度も行った事がありません。土曜は授業もありますしね。

 今日は袋からはみ出た実がもう結構大きく成っていたので、今月中旬には食べごろでしょうか

ブドウの葉を緑に透かして届く日差しが夏を感じさせてくれました。