2012年6月30日土曜日

流れは変わるか!?

20126/29(金)夕方、首相官邸前に数万人が集まり、大飯原発再稼動反対の声を上げた。
これまでの労組や左翼団体の動員も無く、ツイッターやFacebookで繋がった一般の市民達。子供連れの母親、老人も一緒だ。
主宰団体によると、この抗議行動は車道を閉め切って行なう許可のいる『デモ行進』ではなく、あくまで許可の不要な舗道上での『抗議行動』というものらしい。
この行動を持続させて市民の声の大きさを膨らませて行く為には、交通の円滑と安全を保とうとする警察当局と衝突があってはならない。官邸を護る衛視達とも不要なもめ事はあってはならないのだ。
どんな些細な衝突でもマスコミに映像を撮られてしまったら、彼らはそれを都合のいい様に編集し、集まって来るのは粗暴な
『不逞の輩』
と報道するだろう。
そうなっては、この問題におおいに不満を抱いている一般市民が政権に向かって直接声を上げる機会が塞がれてしまうからだ。
6/29の集会は20:00までとされていたが、あまりに多くの市民が集まり、官邸前の車道を全て塞ぐまでに膨らんだ。
警察側も市民の安全のために車道を閉鎖して開放したようだ。
これ以上継続すると、押し寄せる群衆で収拾がつかなくなり不測の事態も起きるやも、ということで主催者側は少し早めに抗議行動を切り上げたようだ。
なにしろ主催者が居ると言っても、集まって来る市民はそれぞれに思いがあって自発的に集まって来るのだから命令する訳にもいかないし、それに従う義務も無いのだ。
 それなのにアレだけの群衆が集まって、権威者でもない主催者の解散要請にみな大人しくしたがって暴動に発展しなかった、というのは古今東西稀な事では無いだろうか。
 『群衆が去った後にはゴミ一つ落ちていなかった』
と欧米のリポーターは報道した様だ。

 無事に大集会を終え、また次回金曜の夜官邸前に集まる人数も更に増える事が予想される。
果たして、世界はこの集会をどんな目で見ているのだろう。
アレだけの大震災、大津波で甚大な被害を受け、全てを失った市民が静かに秩序を守って行動するのをみて感嘆したように、この静かな抗議行動も称賛するだろうか。
それともこんな時でも警察の言う事を聞く、と馬鹿にするだろうか。

60年代からの安保闘争では学生がゲバ棒と火炎瓶、投石で機動隊と衝突し流血の惨事もしばしば、逮捕者も大勢出た。
それだけの犠牲を払っても、日米安保条約は今も締結されたままだ。
国内には依然として米軍基地が数多く残り、中でも沖縄の基地問題は解決がつかないままだ。

 『アレだけの血を流しても敗北したのに、今回こんな大人しい行儀のいいデモなんかで何が変わるのか?』
という声は当然聴こえて来る。

 正直言って私も、今のやり方でおとなしくデモをやってるかぎり市民のガス抜きにはなるけど、政治家はそんな声等全く無視するだろうと思う。
 もしここで警察と市民が衝突し流血の事態にでもなったら、国際的に非難されるのは解っている。が、そうはならないだろうと主催者を見てタカをくくっているのかもしれない。
永年体制に飼いならされて牙を抜かれた市民の声等、全く怖くないのだ。
だからやらせている。
 事実、野田総理は官邸内に聴こえて来るシュプレヒコールを
『大きな音』
と言った。
『国民の声』
だと思ってないのだ。

 そもそも国民の為の政治を志し、国民の声を聞く耳を持っているなら再稼動など選択肢に上る訳が無い。
福島の被災者の声が聞き分けられたら、あの様な災害の責任等誰にもとれない事等明白だ。
それでも、自分のやるべき事は政治史に残る偉業になると思ってるのだから、無視しても心は傷まないのであろう。
自分の評価等、歴史が判断する事だ、と思ってるに違いない。

だからといって、この抗議行動は無駄では無いだろう。
日本の歴史が始まって以来初めて、一般大衆が個人の意志で政権にNO!の声を上げ、集まるという行動を起こした。
最初は無視していたTVもとりあげるようになり、会社帰りのサラリーマンや普通の主婦まで子供連れで参加しているのを見れば、
『私も声を上げていいんだ!』
と思うだろうし、参加した人間から口コミで一般新聞やTVでは報道されなかった、原発にまつわる様々な不条理に触れるだろう。

 欧米やアラブの国々と違って戦国時代はいざ知らず、今の日本人は銃も刀も持たない。多分、本質的にそう言うものを振りかざすのを嫌う民族だと思う。
通り魔すら凶器は果物ナイフか包丁、という国だ。
そういう民族が革命をおこす時、やはり他民族とは違うものになるのだろうか?

 ニュース映像でみる外国のデモはしばしば暴動となり、車を焼き商店を壊して略奪、まさに乾いた草むらに火をつけた様に広がる。
それとくらべると、今回の集会から始まるのは芝生に雑草の種が落ち、少しずつ根を張ってあちこちで芽が出て、いつか芝生は雑草で埋め尽くされて巨木を枯らす・・・そんなスローな展開に見える。

 諸外国が、蜂起した市民と体制側の流す血と涙の雨をくぐって今日の自由と民主主義を勝ち得て来たのに対して、今21世紀の日本の市民が行なおうとしているのは、一滴の血も涙も流さない革命だ。
果たして可能だろうか。
いや、これは日本人にしかなし得ない革命だと思いたい。

日本は今まぎれも無く歴史の転換点にある。
将来、誇りを持って今日を振り返り、子や孫に語る日が来てほしい。


2012年6月26日火曜日

誉めて育てる

最近、自己嫌悪感にさいなまれて何も出来ない、という日が続く事が多くなった。
理由はいろいろあってここでは書きたくないが、根本的な原因は
『自分は周囲から必要とされていないし、貢献もしていない』
と思ってしまう事。


 もちろん家族もいるし友人にも恵まれているから、決して必要とされていない訳ではないし、そこまでいうならその人達に貢献しろよ、という声は内心でも上がるし重々承知しているのだが。
でも、身の回りの人達やかつての教え子達が様々に活躍をしているのを見聞きするに付け、『それにひきかえ自分は・・・』と落ち込んでしまうのです。
負けない様に自分も作品創って発表するなり職人として立派な仕事するなりすればいいのですが、そのエネルギーが湧いて来ない。


『自分の仕事等、世の中に認められる程のものではない』というのが心の奥に在るからです。
モチロン私だけでなく、多くの人は自信満々ものを作ってる訳ではない事は解ります。
自分が作ったものを喜んで下さる方が、少数ながら居る事も承知しています。
自分が社会に対して発信して来なかったから認められてないという事も。
で、いろいろ考えた堂々巡りの末に、考えてるだけの自分に自己嫌悪に陥るわけ。
我ながらイヤになります。


それと関係あるかどうか解らないけど、結婚して家人と話していて『違うなあ』と思うのが、子供の頃誉められたか、という話。


家人は何をしても御両親から良く出来たねえ!と誉められて育ったそうです。
それに引き換え、子供の頃から聞き分けが良く物覚えも良く、弟を可愛がる、親にとっては『良く出来た子』だったせいか、『出来て当たり前』と思われていた様で、小中高と親からそんなに誉められた事がありません。


モチロン、愛情を感じていなかった訳ではないのですが、考えてみると父親等は時代のせいか仕事で朝から晩まで家に居なかった。
学期末に成績表を見せても、五段階評価で5があっても誉められないし、いわんや4以下があると渋い顔されたもんです。
親の欲目からか『やれば出来るんだから』『もっと出来る筈なのに』という訳です。
自分では親なんてそんなもんだろうと思ってましたし特に傷ついたりはしなかったけど、家人から言わせると『考えられない』そうです。


こういう『誉められたい人、認められたい人に誉められないで育って来た』事が、今の自分の自信の無さに繋がってるのかなあ、なんて思ったりもします。
まあ、今更親を責めても仕方ないし、自分で乗り越えなくてはいけないのですが。


で、気になるのが昔教えた生徒さん達の事。
学生時代にそういう評価もらってると、実社会に出て謙虚に働けないという自身の反省もあったので、かなり出来る生徒さんにも最高評価のAをつけてあげなかった。
後半になって、厳しく努力はさせるけど頑張った結果を出した生徒さんは皆の前で評価してあげるという風に変えましたが。


 技術を教える専門学校と趣味で学ぶ彫金教室とは違うと思うのですが、尊敬する先生に言われた『良いじゃない』の一言でどれだけ心が沸き立ったかを思い出すと、成績として残る客観的な評価とは別に、もっと誉めてあげた方が良かったなあ、と思うのです。


今更言っても『後悔先に立たず』ですが・・・。



2012年6月19日火曜日

雨に打たれて

最近ブログの更新を怠ってました。
簡単なFacebookには時折投稿していたのですが。


さて、早くも台風接近とか。
庭の花もアジサイがピークを迎え、バラも咲き出したのに・・・。
 一旦雨もやんだので庭に出てみると、バラの花に雨水がたまっています。
でもアジサイはなんだかシャワーあびてスッキリしたみたいに元気。
やっぱり梅雨時の花なんですねえ。

2012年6月2日土曜日

"NO REGRETS"

イギリスの有名なTV番組Britain's Got Talent』
さまざまな才能の持ち主が発掘される番組で、これまでもポール・ポッツスーザン・ボイルが発掘されて世に出たのですが、動画サイトで眺めていて素晴らしいパフォーマンス(click here)に出逢ったので、紹介したいと思います。
http://youtu.be/tVz7xiJOagg
なんと御歳80歳の熱唱です。

ステージに出て来る足元もおぼつかない様子に審査員も不安気ですが、一旦唄いだすとその矍鑠たる姿と声量に圧倒されます。
80歳の女性が『後悔は無い』と唄う姿に彼女の人生がオーバーラップして、きっとこの歌が彼女の座右の銘であり唄う事で自分を奮い立たせて来たのだろうなあ、と感動します。
自分の人生を胸を張って生きて来た。だから後悔はしない!
『大英帝国』というのはこういう人が集まって出来てる国なんだねえ、きっと。

会場を沸かせ審査員を感嘆させ、『参ったか!』と言わんばかりの素晴らしい笑顔。
唄い終わって舞台袖に引っ込むと、もう普通のオバアチャンに見える所も可愛らしい!

ところで、日本にはどうしてこんな番組がないのだろうか?