2012年7月24日火曜日

『結婚出来ない男』

以前も書いたけど、TVドラマ『結婚出来ない男』を偶然再放送で何話か見て、はまってしまいました。
なにしろ最近のTVは、ろくな番組やってませんしね。
全話を見られるサイト発見して、通しで見て以来、夫婦揃ってファンになり、もう何回見たかわかりません。
我が家では『男はつらいよ』『雑居時代』以来の大ヒットです。


 なにが面白いって、まず阿部寛演ずる主人公がまさに結婚前の私の様な無神経、自分勝手、空気読めない、女心のわからない屁理屈だけ一人前の偏屈な男と言う所でしょう。
妻にも『こういう所ソックリ!』と言われるくらい、まるで自分の過去を見ている様な言動に、自覚があるだけに「ああ自分はあんな風に見えていたんだ」と恥じ入るばかり。
 まあ、それに気がついて笑える様になっただけでも進歩した、と言う事にしておきましょう。


 対して、もう一人の主人公で、もうすぐ40歳の独身女性、夏川結衣演じる所の女医は、ちょっぴり姉御肌でありながら女性らしい行き届いた心遣いの出来るステキな女性。
偏屈男のワガママも「仕方ない人ねえ」と許してあげられる、懐の広さも持ち合わせています。
だから、見ているとまるで阿部寛の方がヤンチャな子供に見えて来る。


この二人が偶然医者と患者として出逢うところからストーリーが始まるのですが、ふたりが診察室でかわす会話がまた、気のあったコンビの漫才のようで最高です。


 阿部寛のプライドは高いけど口下手で、おまけにちょっと偏屈で皮肉屋でオタクっぽい仕草、表情。
それを受ける夏川結衣の表情豊かな演技や、眼だけで演じる感情表現。
こんなステキな女性が何故だか偏屈な男に惹かれて行くのを、とても自然に演じています。


http://youtu.be/ocvnjTJNIHg
この二人の名演技が美しく結晶するのが最終回なのですが、恋の告白シーンといいエンディングといい、本当にうまくこちらの予想をはぐらかしてくれて素晴らしいものでした。
「この二人がゴールインするまでを見守っていたいなあ」と思わせてくれるので、続編が無いのが残念です。


 韓国でもリメイクされた様ですが、このドラマをハリウッドでリメイクか映画化してくれないかなあと思います。
主演は一昔前ならヒュー・グラントと行きたい所ですが、今の若手だと誰が良いでしょうね。
いろいろ考えてると楽しい。


結構昔の作品なので、もうご覧になった方も多いと思いますが、まだなら是非ご覧下さい。
お薦めです。



2012年7月18日水曜日

北陸学院短期大学付属幼稚園

小学校は兵庫県西宮市でしたが、その前の幼稚園の二年間は石川県金沢市に住んでいました。
今回は、そこで通っていた幼稚園に1988年再訪した時の写真です。


 当時住んでいた社宅から、同じ幼稚園に通う子供達何人かで通園していたのですが、今なら幼児だけで歩く等考えられない距離だと思います。
しかも、引っ越して行った昭和38年は記録的な豪雪で、冬は玄関が埋まるまで雪がつもり、二階の窓から出て子供用のスキーを履いて通ったんですよ。
通園の行き帰りに必ず通ったのがこのお寺の脇の急坂。
石段はあったけど、昔は舗装されてなかったと思います。
子供の時は階段脇の鉄製の手すりの場所に、築地塀があったと思うのですが。
坂を登り切った所から見ると金沢の市街が見渡せます。
向こうに見えるのは卯辰山(うたつやま)
スキー場があって産まれて初めてスキーをした場所です。 
ここを登り切って広い通りに出ると幼稚園はもうすぐ。
北陸学院短期大学付属幼稚園です。
下の写真左側に建つコロニアル様式の木造建築が
当時のままで残っていました。
 1891年アメリカ人宣教師トマス・ウィンが建てたこの建物は、1988年の撮影当時はウィン幼稚園として実際に幼稚園だったようですが、現在は学院の資料館になっているようですね。


当時はその価値等全く解らなかったけど、こんな文化財クラスの園舎に毎日通っていたんですね。
たまたま一番近かったからなんでしょうけど、両親に感謝、です。


 ミッション系の幼稚園で、クリスマスになるとキリスト生誕の劇を父兄に披露したのを覚えています。私は東方よりの三博士の一人だったそうです。
昔の事は良く覚えている母によると、その劇で聖母マリア役だった女の子の事を『○○ちゃん、すっごくキレイなんだよ!』と、べた惚れだったそうです。
昔から美女には弱かったんですね〜。
キョウコちゃんと言ったかな、先程の坂の下に住んでいたと思います。
今どうしていらっしゃるやら。
幼稚園で同い年だから、お互いもうマッタク面影無いでしょうね。


 哺育系の短大に付属していたので、多分先生方もそこから来られていたのだと思いますが、若くて美しい先生だった。
今思えば二十歳そこそこなんでしょうが、昔の写真見ても今の同年代よりは大人に見えるなあ。


ところで、金沢の街を歩いていて出逢ったこの車。
豪華絢爛な霊柩車!
こういう車は地域によって決まり事や特色が在るのでしょうが、これが金沢スタイルなんでしょうか。
ベース車両もクラシックだけど、装飾がこれまた豪華!
さすが加賀百万石!手のこんだ彫刻に金箔が貼られ、
美術工芸品の様です。

金沢には二年間しか住まなかったし、記憶も薄れてるのですが、
年齢的に当時の父や母にはとても印象深かった土地の様です。
社宅の皆さんとも仲良く楽しいお付き合いが出来て、
今でも、当時ご近所だった方とはお付き合いが続いています。




2012年7月16日月曜日

西宮市立高木小学校

先日スキャナーを買って以来、過去に撮影した写真のデジタル化を少しずつ進めているのですが、30年前に関西に旅行した際に通っていた小学校を再訪した時のスライド写真が出て来ました。


 大阪に行った時は泊めていただく親戚のお宅から、大阪梅田駅にやって来ました。


地下鉄御堂筋線から阪急電車に乗り換える時に通るコンコース。
今は耐震性の問題でここはもう取り壊されてしまって無いそうですが、つくづくモッタイナイ!

天井から下がるシャンデリアと言いモザイク画と言い、
優雅な空間だったのですが。
 このアーチ天井の空間は私が子供時代には無かったのですが、
既にここも無い様です。
 阪急電車に乗って西宮北口で下車。
震災の後再開発で無くなってしまった北口市場。
同級生の家がここでお菓子屋さんをやってました。
 
 中に入って行くとオモチャ屋さん。
ここは良く利用してました。
 少し歩くと、一年から四年まで通っていた高木小学校。当時は校庭も広く感じたけど、大人になって行くと狭いねえ!
 このジャングルジムの様な遊具は私が入学した時からのものです。
 こちらは給食室。
この台の上に出来た給食、ビン入りの牛乳が並んでて
給食係が取りに行くのです。
 こちらが、普段使っていた校門。
右側に足場が組んであるのが、入学した時からある校舎です。
この校舎も、数年前訪問した時に耐震性の問題で取り壊されました。
目の前で取り壊されてるのを見て、ちょっとショックでしたね。

 左側は在学中、古い木造校舎が火災で焼失したので新しく建った校舎。
先程のジャングルジムの横に建っていた二階建ての木造校舎には二年生の時入りましたが、いつも床に塗られたWAXの匂いがしてましたね。
けっこう立派な図書室があって近隣では有名だったそうです。
当時から本が好きで、図書室は良く利用していたので、
火事の跡に燃えかけたり水を被った本がいっぱい積んであったのをみて、『モッタイナイなあ!』と思ったのを今でも思い出します。

校門を出て当時住んでいた家に向かうと
道の周りは畑や田んぼばかりでした。

冬は積み上げられた馬糞から藁の匂いの混じった湯気が立ち上り、
水田にはカブトエビが泳いでました。

 こちらの会社、どうやらカメラ部品の有名な企業らしいのですが、時々この前に真っ赤なアメ車が停まっていました。
60年代のフィンテールの派手な車にワクワクして見とれてると
多分社長さんの車なんでしょうが、秘書の女性がリアのナンバープレートのうらに隠された給油口を見せてくれたのを覚えています。
自分だけがその秘密を知った様でドキドキしたなあ!

 家に近づくと道の横に用水路。
ここでは写真の様に収穫した野菜を良く洗ってました。
今でも冬の朝、穫れたてのネギを洗う匂いが甦るようです。
 住宅が増えて用水路にも蓋がされてしまいましたが、
昔はきれいな地下水をポンプ場から流していた様で底に白い砂が溜まり、
冷たく透き通った水に金魚藻が揺れていました。
だから、夏は用水路でもっぱら水遊びしてました。
畑の中に建ってるのが、当時住んでいた四階建ての社宅。
私達が引っ越した後すぐ近くに小学校が出来て、今では高木小学校には通わない様です。

 当時習っていたヴァイオリンのレッスンには家から近くの駅まで歩くのですが、畑の中を近道します。
 ところどころにこんな塚があってお墓がありました。
畑を抜けると八幡神社。
 ここはいつもシーンとしていたなあ。

神社の中を抜けると社殿の前にこんな砲弾が祀ってあります。
今でもきっとあるのでしょうね。
 広い国道を渡って住宅街に入ると、こんな社があります。
 ここに飾ってある額が、子供心に強烈に焼き付いてます。
地獄を描いた額なんです。
えんま大王や赤鬼が居て針の山に亡者が追い立てられてる、という様な絵です。
見る度に母に『嘘付いたり悪い事すると地獄に堕ちて舌抜かれる』と言い聞かされたもんです。
『そんなの作り話でしょ!』と思いながらも、どこか心の奥に刻み込まれてるもんですね。
此処を足早に通り過ぎて着く駅が門戸厄神駅
そこからまた阪急電車に乗って西宮北口に戻ります。
下の写真が駅のコンコース 
乗って来た車両の中はこんな感じでした。
内装は木製パネル風になってます。
車内広告が殆ど無いのがよく解ると思います。 
こちらが西宮北口駅から出た所。
タクシー乗り場です。
 タクシー乗り場の位置から前の広場を見るとこんな感じです。
 駅の南側にあった西宮球場跡地が阪急西宮ガーデンズになりましたが、最近のグーグルマップ・ストリートビューでもこちら側はあまり変わってない様です。


 数年前に妻と再訪した時は、アパートの周りは住宅が建ち並び、すっかり様子が変わっていました。
学校の周りも震災以降再開発されて道路も広くなり、なんだか昔の面影はありません。
変わらないのは家の近所の武庫川、西に見える甲山や六甲山系だけになった様です。
しかし、たった四年間しか住んでないけど、やはり私には此処が故郷という気がします。
物心つく頃に過ごす環境って、その人間の心の土台に成るのかもしれませんね。

2012年7月10日火曜日

おしゃぶり。

いきなり『おしゃぶり』ってナニ?と思われるでしょうが、今日は『おしゃぶり』の話です。
そう、赤ちゃんが口にくわえてるアレです。


先日、父の故郷鹿児島から父の妹(私には伯母サンになります)が上京してきました。
同居している末の息子と二人で、東京で働く長男を訪ねて来たそうです。
なんと、鹿児島から九州新幹線に乗り、大阪で東海道新幹線に乗り継いでの7時間の長旅。
もう80歳なのに先日の脳梗塞のせいで少し足が心配ながら元気イッパイ!
町田の実家に兄である私の父を訪ねて来られたので、久しぶりに弟家族も集合して食事会になりました。
六年前に家族で鹿児島に行ったビデオを偶然最近見直したところだったので、その話や昔話に花がさき、楽しいひと時になりました。

 ところが、偶然母の車のキーホルダーの話になって、この歳になって初めてそれが私が赤ん坊のときの『おしゃぶり』だったと知りました。
キーホルダーにつけられたこのウサギ、
元々はこの先に象牙(?)の輪が付いていた様です。
それはどこかに紛失したか破損して、残念ながらありません。
素材はどうやら真鍮に銀メッキ。軽いので中空ですね。
モデルは『不思議の国のアリス』に出て来るウサギですかね。

量産品ですが、なかなか味がある造り。
子供向けの商品なのに、今時の商品と違ってまったく子供っぽいデザインではない!
考えてみると、50年前にこういうものにお金だして買う人は少なかっただろうから、
もしかすると意外と高価で、ギフト用として有名百貨店辺りで売られていたものかもしれませんね。
どなたかに出産祝いとして戴いたのかもしれません。

当然の事ながら、自分ではマッタクこんなものくわえていた記憶がないのですが、50年以上前にもこんな量産品に心をこめた原型師さんが居たんだろうと思うとなかなか感慨深いものです。