2013年2月10日日曜日

昔の大雪:昭和38年の豪雪他

 最近両親のアルバムを整理している話は先日も書きましたが、珍しい写真が出て来ました。
昭和38年の豪雪を記録した写真です。
場所は当時住んで居た石川県金沢市内。

有名な兼六園から東に数百mの金沢市扇町にあった、日本電信電話公社の社宅とその周辺。
現在は建物が変わりNTTの職員寮になっているようです。
上の写真で二階建ての社宅、玄関が二つ並んでますが奥が私の住んで居た家になります。
なにしろ、朝になって積雪で玄関の戸が開かなくて慌てたと母が話していました。
結局二階の窓から出て外から玄関前を除雪したそうです。
社宅の並ぶ中央の通路を皆で雪かき中の写真。
この通りの左手に平屋の社宅、右手に二階建ての社宅が並んでいました。
除雪した雪は周囲の空き地に。
すると周囲は雪がうずたかくなり、結果として下の写真の様な光景に。
社宅から出て街の中に出てもこういう感じ。
どこも一階の屋根まで雪が積もり、降ろした雪で道路は埋まってしまっています。
 かろうじて庇があるところは地面を歩ける状態。

当時幼稚園児だった私達子供は窓からツララをとってかじったり、カマクラ作ってもらったり、幼稚園までスキーで通園したりと楽しい思いでが残ってますが、雨戸は開けられないし洗濯物は外で干せないし、買い物は大仕事だし大人には大変だった様です。
今年も日本海側は雪が多くてニュースになってますが、ここまで酷くはないようですね。
やはり平均気温が昔に較べて高くなってるんでしょうね。

雪と言えばこの写真も印象的。
昭和20214日の朝だそうです。
写っているのは当時13歳間近の母。
兵庫県西宮市甲子園球場ちかくの家の前での撮影。

戦争中なので防空頭巾にモンペです。
雪景色にこの薄着にこの履物(何履いてるのか判りませんが)って、今なら考えられないですよね。
当時は食料事情も悪かったろうし、寒さが堪えたのではないでしょうか。

 終戦間際の空襲でこの一帯は、B29による焼夷弾攻撃で辺り一面火の海になったそうです。
たくさんあったレコードや写真アルバムも皆焼けてしまったそうで、当時の貴重な一枚ということになります。







医師の一言。

 昨年末から我が家、家族共に病院通いが続きました。

 昨年末には妻が中耳炎をこじらせて、左耳が聞こえなくなってしまいました。
職場の近所の耳鼻科で診てもらった所大きな病院を薦められたので、母の知り合いで、子供の頃から家族ぐるみのお付き合いのお医者様に耳鼻科を紹介していただき、鼓膜の奥に貯まった膿を排出し鼓膜に細いパイプを挿入するという手術を緊急にしていただきました。
おかげで徐々に聴力も回復、来月当たりパイプも外せそうです。

 今年になってからは、昨年から懸案だった母の脳動脈瘤の検査。

 以前腰の脊髄管狭窄の手術でお世話になった脳神経外科の先生に脳のCT検査を薦められ、撮影した所動脈瘤を発見。
しかもかなり大きい。
しばらく様子を見ていたのですが、MRIで撮影したところ実は反対側にもあり、そちらの方が大きい事が判明。
 高齢なので開頭手術はリスクが高いので、血管内カテーテル手術が出来ないかを二泊三日で入院して検査する事になりました。

 検査の結果、大きい方は動脈瘤から細い血管が出ていて、それまで塞ぐとどこかに麻痺が出る可能性があるので無理、小さい方も血管の分岐部分故形状的にカテーテル手術では無理。
残りは開頭手術です。
 担当医師と協議の結果、放置して動脈瘤が破裂してクモ膜下出血を起こす確率に対して手術に伴う弊害が小さくないと言う事で、手術はせずに血圧を上がりにくくする薬を服用しながら、定期的に観察する事になりました。
 母も納得して、手術せずに済んだ事を喜んでいたのですが、その検査入院の際に年末に出来た火傷がかなり重傷だったことが判明。

 私が椿山荘のイベントに出展したのを観に来た際、輸入品の銅製の湯たんぽを購入し愛用していたのですが、熱湯を入れて寝る際に誘眠剤を服用したため左足の内側、くるぶしの少し上に低温火傷を負ったのです。
朝目覚めて水ぶくれを破いてしまったのですが、馬油を塗っただけで放置しお風呂にも入ってしまったようです。
そこで傷口から雑菌が入ってしまった様で、検査入院した病院で診てもらった外科医に有無を言わさず壊死した患部を切除されてしまいました。

検査入院が終わって退院するにあたって、近所のかかりつけの皮膚科医に診てもらう事にしたのですが、結局植皮手術になると長期入院になり脚力も衰える為、頻繁に通って患部を殺菌消毒、患部を無菌ガーゼでカバーして傷の自然治癒を待つ事になりました。
と言う訳で火曜金曜に皮膚科に通っているのですが、最近は少しずつ切除されてボコッと凹んでいた患部に赤い肉が盛り上がって来ました。
少しずつ回復して来ている患部を見ると、人間の回復力って凄いし不思議だなあと思います。

 さて、とどめは妻の乳がん疑惑。
正月開けに『胸にしこりがあるみたい』と言い出し、子宮がん検診にも行った事のある近所の大きな病院に行ったのですが、触診で多分大丈夫と言っていたものの、念のためにエコー検査。
それが医師自身のインフルエンザで一週間も延び、その結果を見て念のためにMRI
それを見て急に、疑わしいから組織検査をすると言い出したのです。
おまけにガンでも良性でも手術で切除が必要と言われ、すっかり脅えて落ち込んでしまった妻。

結局発見から診断まで、ほぼ一ヶ月もかかってしまいました。
まだ若いのでガンなら転移も疑われるし、どちらにしても切除が必要な大きさなら最初に組織検査すれば良さそうなものです。
そんなこんなで、この医師への信頼を無くしてしまいました。
見かねて別の医師を紹介してもらうことにしました。

 紹介していただいたのは私の祖母が昔胃がんを発見してもらい、手術もしてもらったガンのエキスパート。
もう高齢故、当時在職されていた大病院は退職され、小さな診療所で診察に専念されているそうです。
初日の触診で『だいたい判りました』と言って下さったのですが、既に組織検査もしていたのでその結果を診ていただく事にしました。

 最初の病院での組織検査で、結局良性の判断を貰ったのですが、その足でその検査結果をもって診てもらいました。
エコー画像も診て、これならほぼ間違いなくガンではないことや『私は触診で八割判ります』と聴いて妻も私もようやく一安心。

 つまり最初からこの老医師に診ていただいてたら、触診後の医師自らのエコー検査の一日で済んで、マンモグラフィーもMRIも痛みを伴う組織検査も必要なかった訳です。
 おまけに先の医師とは違い、良性腫瘍なら今すぐ手術の必要は無いし、ホルモン剤等の投与も効き目が無い上に副作用が大きいからしない、との診断。
二三ヶ月毎に悪性に変化していないか等、再診していただくことになりました。
先に母の動脈瘤を診て、手術しない判断を提示して下さった脳神経外科医もカテーテル手術の専門医も『何でも切りたがる先生も居ますが〜』と言っていたけれど、まさにおっしゃる通り。

 老医師曰く、大きな病院は患者数も多く診断も手術も雑になりがち、と言う話も聴きました。
そう言えば最初の病院は老医師の丁寧な触診とは違い、女医の触診も簡単なものだったと妻も言ってました。
夫婦揃って来て下さいと言われて組織検査の診断結果を聴きに行った時も、患者に対面しないでパソコン端末の画像を見ながら話してるし・・・。
『ご主人にもご心配をおかけしましたが、大丈夫ですよ。』位言って欲しいものです。
触診で自信が無いから、CTやマンモグラフィー、超音波エコーやMRIに頼るのでしょうかね。
結局それが患者の不安や負担になるのですが。

 それにしても、普段頭で判ってはいるけれど『家族の健康が大事』ということを身にしみて実感しました。
同時に、妻が不安を抱えていても何もしてあげられない無力感も。
こんな時は医師の患者側に立った丁寧な対応と説明、そして『大丈夫』の一言に勝るものは無いですね。

『やはり、最初に診ていただく医師が大事だねえ』と夫婦で話しながら帰宅したのですが、ホッと一安心した妻は食欲が急にわいて来て、帰り道のファミレスでいつもの様にモリモリ食べてました。