2013年6月23日日曜日

50年前の思い出話

 昨日は実家に懐かしいお客様がいらっしゃいました。

 幼稚園児代に住んで居た金沢の社宅で、お隣だったOさん。
当時父の上司だったOさんは豪放磊落な方で、赴任したばかりの父をはじめ我が家は家族ぐるみで良くしていただきました。

 父も母も初めて土地での社宅暮らし、しかも社宅の中では一番若かったせいで結構不安が在ったと思いますが、Oさんはじめ気の置けない方々ばかりだったせいか、思い出に残る本当に楽しい赴任生活と成りました。
 地元出身のOさんのご尽力で社宅一同での慰安旅行やイベントなどもあり、いまでもその時の写真が残っていて見る度に楽しい思い出が甦ります。
 父は当地でお酒の飲み方、キャバレーでのお金の使い方等、その後のサラリーマン生活で役に立つ事を沢山伝授されたそうです。
二人で飲んで酔っぱらって帰って来た時の事を、母も楽しげに語っていました。

 後年父が東京に転勤に成って、先に東京に赴任されていたOさんと再びお付き合いする様になり、成人されたお嬢様のクミさんと我が家にお越しに成られた時に録音したテープが出て来ました。

 その中には、お酒も進んでいい気持ちに酔われたOさんの歌声。
病に倒れ亡くなられたOさんの上機嫌でお元気な声を聴いて、これはクミさんに差し上げなければとCDにしてお送りしようと思ったら、懐かしいからとりに伺います、とのこと。
25歳になられた美しい娘さんと、実家にお越しいただきました。

 クミさんは金沢当時二歳年上で小学校一年生。
そのうえにお兄さんが二人いらして、私も弟も懐いて可愛がってもらったそうですが、残念ながらあまり記憶が無いのです。
そこでデジタル化したアルバムをTVに写してみながら、当時の想い出話。
Oさんの写真が我が家には無いと思っていたのですが、集合写真に写ってらっしゃるのを発見。
早くに病気でなくなられた奥様と一緒に、子供時代のクミさんのお姿も。
相次いで病没された二人のお兄様の姿もありました。

 かれこれ50年前の記憶が写真や音声で甦って、私の知らない子供時代のエピソード等も聴かれて、本当に楽しい一日でした。
でもつくづくアノ時代にビデオがあって音も動画も記録出来ていたらなあ、と思います。

撮ってる時はいやがられても、50年経ったら貴重な想いでです。
両親ももう80歳。
これからの時間はそんなに残されてないので、私自身も含めてまだ元気なうちの記録を出来るだけ残しておきたいな、等と思った次第です。



2013年6月17日月曜日

平成の城下町復元!そびえる天守閣が見たい!

アベノミクスとやらも、どうやら海外の禿鷹ファンドを儲けさせただけで終わりそう。
安倍総理の成長戦略は全く具体性も無かった。
そこで提案だが、観光立国と成長戦略を絡め、日本中に残る城趾公園を利用し『城』を復元し、城下町の復活を図ってはどうだろう。

 もちろんやるからにはコンクリート造りなんて事はしない。
伊勢神宮の遷宮の様に、創建当時の建築を出来るだけ忠実に再現する。
作りっぱなしではいけないから、長期的に維持管理をするために、若者を国家公務員として採用し、大工、左官、石工、瓦職人、内装の表具師、畳職人等も同時に養成する。建築や長期的な補修には材木も必要だから、全国の国有林を活用して植林し用材とする。
森林の管理には若者を優先して雇用し、森林を保全する知識を伝承していってもらう。
このように、失われて行く日本独自の文化、技術、その背景と成る自然と共生する思想哲学を伝承出来る。

 市街地は、当時の城下町の雰囲気を出来るだけ再現する様に、古い道路に面した建築には高さ制限や木造建築を採用する。当然改修には国が補助金を出す。
当然ホテルが必要だが、街中には純和風の旅館以外の高層建築は建てないで街の周辺に建ててもらう。
観光バスは城下町周辺の大駐車場に停めてもらう。

 一度に全国で行なうのは無理だから我こそは、と思う都市から順番に優先的に事業化。
名古屋、大阪等の大都市は不可能だから、かつて城があったが今は存在せず、城下町としても寂れて人口も減少してしまった、地方の小都市なら大規模な改造も可能だろう。

 日本列島改造論ではないが、世界が思い描いているサムライジャパンの世界を現実にしてやるのだ。
世界有数の科学技術国でありながら、江戸時代の街並で日本人のアイデンティティーとホスピタリティーを感じられる。
これなら今以上に関心を持たれ世界中から観光に来るだろうし、国内の地元中小産業も活性化し地域での消費も拡大すると思うが。

政治家や財界人が言う様に、企業が儲ける為に日本をグローバル化し、世界に出て行くだけが日本の成長ではないと思うんだけど、如何でしょうか?
少なくとも一般市民にとっては、こういう戦略の方が恩恵が在ると思う。

2013年6月14日金曜日

『舟唄』八代亜紀さんの歌唱力に脱帽!

 最近実家に車で行く事が多く、ちょっと疲れている時等一人だと眠くなるので、iPodに入った曲をシャッフルで流している事が多くなりました。
そんな時は、歌謡曲や演歌をかけて眠気防止に大きな声で唄ったりするんですが、最近ツボにはまったのが八代亜紀さんの歌。

 雨上がりの夕暮れ時に住宅街のはずれを走っていたとき、聴こえて来たその曲にあわせてうろ覚えの歌を唄っていたのですが、なんだか急に涙がブワ〜ッと湧き出して来て視界を遮ってしまったので慌てました。
それが八代亜紀さんの『舟唄』

 1979年の歌なんですが、ここに添付するにあたって、いろいろな動画を見比べて、この動画の歌唱がもっとも素晴らしかった。
今でもチャーミングな八代亜紀さんですが、若く美しい時の歌唱よりこの動画の歌唱の方が歌詞の一字一句に込められた思いがこちらの心にズシリと響きます。

 私自身はお酒が飲めないので、こんな風に一人酒場でしみじみ酒を飲んだ事が無いのですが、それでも50年生きてると後悔や未練が頭に甦って来て、夜布団の中で心が苦しくなる時も在ります。

 誰に話しても今更取り返しのつかない、どうにも成らない後悔や心のわだかまりを、お酒が解きほぐしてくれるものなら、こんな酒場を見つけて独り酒を重ねてみたいものです。

 おそらく八代さんも長い年月の中には、そんな心がすすり泣く様な思いを沢山して来られたんでしょうね。この歌に描かれてる様な想いで一人涙ぐんだ事もあったんじゃないでしょうかね。
だから若い時の歌唱より、そういう心模様が自然に表現出来てしまう、というより自分の事として唄えてしまうんでしょうね。

 デビューした時から魅力的な低音のハスキーボイスも、この歌にはピッタリ。それがキャリアで磨かれて凄みすら感じます。
最近の若い歌手には絶対真似出来ない、本物の『歌い手』ですね。

 こういう歌を聞くと、お酒が飲めたらなあ〜なんて思うんだけど、万が一理想の酒場を見つけてしみじみ飲んだとして、自分はどんな舟唄を唄い出せば良いんだろう。

そんな時に口ずさむ唄の一つもない事がちょっと情けない。
まだまだ人生修行が足りないって事ですね。






2013年6月2日日曜日

音の想い出


押し入れに眠っていた古いオープンリールテープレコーダーから、懐かしい声がよみがえります。

テープが劣化して酸っぱい匂いがしてるので、可能な物からデジタル化。
CD
に焼いて保存します。

50
年前の自分の声が残ってるのが不思議な気分ですが、今の子供たちは映像で残ってるんだねえ。

日本は更年期?


中国に負けじと必死の日本は「更年期」、まともに付き合う必要はない―中国紙

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130601-00000011-xinhua-cn&1370060986

客観的に見て反論出来ない。
更年期どころか不治の病で末期的だ。

 おごり昂った挙げ句に始めた戦争に敗れ、戦後は反省して地道に謙虚に喧嘩もせず暮らし、国際的に信頼を得て来たのに、悪い仲間に誘われて始めた原子力という美酒美食にうつつを抜かしバブルに浮かれ、諌める声も聞かずに不摂生を続けたために、二年前に大地震を機にとうとう福島で発病。

 今後ほぼ永遠に完治しない病魔に国土の大半を侵され、日々その範囲をジワジワ広げつつあるのに、いまだに病状を自覚せず、病巣を取り除きも出来ず放置し、『俺は病気なんかじゃない』とオリンピックを招致するだけに留まらず、悪い仲間との付き合いを断ち切れず、仲間内での金儲けの為に病因と成った原子力を他国にまで輸出しようという浅ましさ。

病魔が脳にまで廻った、と言われてもオカシクない末期的な症状を国民に知られたくないから、TVマスコミはこぞって御用放送になり、お笑いバラエティーを垂れ流し続ける。

中国も高齢化、国内の大気や水の汚染、官僚の腐敗、と様々な問題を抱えてるうえに原発を今後も増設して行くと言ってる。

『同病相哀れむ』
日本の現状を見て、中国国民が同じ道を歩まない様に切に願う。