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2013年7月9日火曜日

初めてのイタリアン・ジェラート

1970年の大阪万博。
当時小学5年生でしたが、夏休みに家族で行きました。
丁度前年に西宮市から父の転勤で相模原市に引っ越してきたばかりでした。
大阪市内の親戚の家に泊めてもらって、三泊四日〜四泊五日くらいいたのかなあ。
会場で見たパヴィリオンでなにか印象に残ってるか、と聴かれると何を見たか殆ど覚えてない、と言うのが正直な所です。
『人類の進歩と調和』なんて高尚なテーマは小学生の私には難解すぎました。
でも、それぞれのパヴィリオンの建築が趣向を凝らしたものであったことは印象的でした。
あとは何しろ暑くて人が多かった、入館するのに長蛇の列に並んだ事、でしょうか。

そんな中で、今でもハッキリと覚えている事が在ります。
それがイタリア館のレストランで食べた、デザートのアイスクリーム。

 たしか父がイタリア館の中にあるレストランを予約したんだと思いますが、白いテーブルクロスがかけられた本格的なイタリア料理のレストランだったと思います。
だから旅先とは言え、この日はちょっとよそ行きのカッコさせられて居た筈。
 床は本格的な白い陶器のタイル張りでピカピカに輝いていました。
たしか、魚か肉のコース料理だったと思います。
慣れない雰囲気で緊張していた子供の私にはその内容が何だったか、味の記憶もないのが残念です。

 でも、白い上っ張りを来た多分イタリア人のウェイターに薦められて注文してもらったアイスクリームが、美味しかったのです。

 当時はイタリア料理など今の様に普及してないからピザ屋もないし、『パスタ』ではなく『スパゲッティ』しか食べられませんでした。
アイスクリームだって紙のカップに入ったバニラアイスか、ちょっと気取ってソフトクリームがせいぜい。
 
 ところが、ガラスの高杯に盛られて出て来たアイスクリームは今で言う本格的なイタリアン・ジェラート。
多分リキュールも効かせてあって、乳脂肪分の濃い大人の味。
砕いたナッツ、ドライフルーツ等も入ってるではありませんか。
その美味しかった事!
大人の世界にはこんな美味しいものがあるんだ、と感動しました。
アノとき今みたいにスマートフォンがあったら、即座に写真撮って投稿するのに・・・。

 そんな記憶も遠くなった所に、先日実家の押し入れを整理していたら当時写真のネガやらが出て来ました。

その中から、見開きで文庫本の一ページくらいの栞がみつかりました。
 どうやら、イタリア館のレストランはアリタリア航空が運営していたようですね。
なかを開くとこんな感じ。
記憶にはないけど、イタリアの名画が飾られていた様です。
イタリアで印刷されたのか、例に依って日本語の表記はなんとなく違和感が在ります。

 この栞にはなんと当日のレシートまで挟まってました。
 やはり両親にとっても初めての本格イタリア料理だったから記念に取っておいたのでしょうね。
問題のアイスクリームはリストのどれに当たるのか、多分「N5」と表記されてるモノだと思うんだけど。

ところで、税・サービス料込みで¥4764.-って今の価格でいくらくらいに成るんでしょうね。



2013年7月7日日曜日

50年前の観光パンフレット


 実家の押し入れを整理していて、レトロなものを発見。
1958年(昭和33年)に両親が結婚して新婚旅行に行った和歌山県の白浜温泉。
宿泊した旅館や観光バスのチラシ、パンフレット、チケット等が出て来たのですが、50数年前とあって殆どが手描きのイラストで、その色彩が独特の色調です。

白浜観光で乗った観光バスのパンフレット。
 開くとお土産のご案内。

 こちらは白浜周遊観光バスのチケット。
乗った区間だけ切り取られています。
 こちらは結婚してすぐ、父の東京出張のついでに夫婦で立ち寄った箱根の遊覧観光バスの乗車券。
どれも、今と印刷方式が違うのか色ズレがあったりしますが、全体としてソフトな印象で、なんとなく手刷りの版画を思わせます。
下は記念に買って来たと思われる白浜観光の絵はがき。



カラー写真からの印刷なのかもしれませんが、なんとなく白黒写真に手彩色したように見えます。

この二つの旅行、旅館の領収書まで残っていて当時の物価水準まで伺えます。
よくもまあ、残しておいてくれたものです。

2013年6月2日日曜日

日本は更年期?


中国に負けじと必死の日本は「更年期」、まともに付き合う必要はない―中国紙

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130601-00000011-xinhua-cn&1370060986

客観的に見て反論出来ない。
更年期どころか不治の病で末期的だ。

 おごり昂った挙げ句に始めた戦争に敗れ、戦後は反省して地道に謙虚に喧嘩もせず暮らし、国際的に信頼を得て来たのに、悪い仲間に誘われて始めた原子力という美酒美食にうつつを抜かしバブルに浮かれ、諌める声も聞かずに不摂生を続けたために、二年前に大地震を機にとうとう福島で発病。

 今後ほぼ永遠に完治しない病魔に国土の大半を侵され、日々その範囲をジワジワ広げつつあるのに、いまだに病状を自覚せず、病巣を取り除きも出来ず放置し、『俺は病気なんかじゃない』とオリンピックを招致するだけに留まらず、悪い仲間との付き合いを断ち切れず、仲間内での金儲けの為に病因と成った原子力を他国にまで輸出しようという浅ましさ。

病魔が脳にまで廻った、と言われてもオカシクない末期的な症状を国民に知られたくないから、TVマスコミはこぞって御用放送になり、お笑いバラエティーを垂れ流し続ける。

中国も高齢化、国内の大気や水の汚染、官僚の腐敗、と様々な問題を抱えてるうえに原発を今後も増設して行くと言ってる。

『同病相哀れむ』
日本の現状を見て、中国国民が同じ道を歩まない様に切に願う。



2013年4月14日日曜日

個展を二つ

 昨日は絶好の行楽日和のなか、鎌倉、茅ヶ崎まで出かけました。
専門学校で教えていた時の生徒さんが二人、それぞれ作品を展示してらっしゃるというお知らせを戴いたのです。
お昼頃車で家を出て、まずは鎌倉材木座にある『材木座カフェ』へ。住宅街の中、病院の建物の一角にある小さなギャラリーカフェでした。
ここで作品を展示してらしたのは塩原香苗さん。

 彼女は夜だけ週五日というハードなクラスの生徒さんでした。
このクラスの生徒さん達は以前も話しましたがクラスの結束が強くて今でも年に一回グループ展を開催しています。
その中でも塩原さんは印象的な生徒さんでした。
ジュエリーの製作技術を教えるクラスなので、一応課題作品を技術的に評価採点しなくてはならないのですが、彼女の作品は技術的には未熟でも作者の熱意や彼女にしか表現出来ない独特の世界観が伝わって来る物でした。
これは技術云々では評価出来ない、と心底感心してしまったものです。
 以来彼女には会う度に『普通の会社員として業界に就職するのではなく、アーティストになって欲しい』と無責任なことを言い続けて来ました。
そのせいかどうか、彼女はこれまで驚く程精力的に様々なイベントに加わって作品を発表してきました。

 そんな彼女のアクセサリー作品は、ジュエリーの世界の人間である私から見ると、まずはイベントでの販売を念頭に置いているということも在るのだと思いますが、共感出来る物もそうでないモノもあります。
でも、その中にも言葉や外見で自分を表現する事が不得手な彼女の、繊細な感性の片鱗を感じるのです。
 いつか学生時代に私を驚かせてくれた課題作品の様に、インパクトのある作品を発表してくれるのではないかと期待している次第です。

さて次に伺ったのが茅ヶ崎にある『artseaショップ&ギャラリー』
冒頭の写真は、ここで開催されている鈴木日那さんの個展のDM。
鈴木さんは昼間のクラスでしたが、周囲の学生さんより年上で皆にヒナさんと慕われていました。
当時から落ち着いた雰囲気の方でしたが、和装に目覚められたそうでFacebook等でも素敵な着物美人姿を公開されています。
昨日も初日とあって素敵なお着物で在廊されてました。

 今回、是非作品を拝見したいと思ったのはDMでは作品の大きさ素材が解らなかったからですが、御本人に伺ってビックリ。
レタスサイズからキャベツサイズまで、様々な色彩とサイズで作品を展開されてました。
照明器具を仕込んだ作品も在って、壁にかけたり、部屋の隅やテーブルに飾ったりと、インテリア・オブジェと言う言葉がピッタリでした。
彩色方法や組み立てる構造等今後発展させたらどんどん発展して行きそうで楽しみです。

 ヒナさんには久しぶりにお目にかかってお話を伺ったのですが、最近和裁の勉強を始められたそうで、衰えない向学心、生活を楽しむ姿勢がそうさせるのか、学生時代より若々しさに溢れ、それが作品に現れている様でした。

ご興味がある方は、今週いっぱい開催しているそうなので是非ご覧下さい。
artsea SHOP&GLLERY    www.artsea.jp
253-0053 茅ヶ崎市東海岸北5-1-30  0467-57-2146
10:00~18:00  火・水曜日休み

生き生きとしたお二人に会っての帰り道は予想はしていたけど大渋滞。
横浜新道にたどり着くまでのろのろ運転で一時間半・・・。
眠気覚ましにipodで懐かしの歌謡曲を流し、車内で独りカラオケ状態だったのですが、村田英雄『王将』を唄っていて二番あたりで何故か突然涙があふれてきました。
http://youtu.be/vjBX3-gfgCQ

 私のipodには植木等のスーダラ節なんかも入っていて、眠いときには植木さんになり切って唄うと眠気も飛ぶんですが、シャッフルでかかった曲で村田さんになりきろうとしたせいでしょうか。
それとも、丁度沈む夕陽が西の地平線にかかって美しかったせいでしょうか。





2012年6月19日火曜日

雨に打たれて

最近ブログの更新を怠ってました。
簡単なFacebookには時折投稿していたのですが。


さて、早くも台風接近とか。
庭の花もアジサイがピークを迎え、バラも咲き出したのに・・・。
 一旦雨もやんだので庭に出てみると、バラの花に雨水がたまっています。
でもアジサイはなんだかシャワーあびてスッキリしたみたいに元気。
やっぱり梅雨時の花なんですねえ。

2012年5月21日月曜日

ようやく咲き始めました。

去年の暮れから春にかけて寒い日が続いたせいなのか
例年より遅れて心配していたのですが、
今年も庭のバラが咲き出しました。
昨日は無かった小さな蕾が膨らんでいます。
バラは害虫や病気にも弱いので
本来ならきちんと手入れをしてあげないとイケナイのですが、
たまに思い出すと枝を剪定してやるくらいで、
可哀想に我が家のバラはほとんどホッタラカシです。
だから、気がつくと枝一本丸ごと葉っぱが
虫に食われている事もあります。
それでも小さな鉢植えからドンドン大きくなって、
毎年健気に花を咲かせて楽しませてくれます。

こちらも小さな鉢植えだった山椒の木。
いまでは私の背丈より大きくなってしまいました。
今年はなかなか立派な実が成っています。
 紫陽花も蕾が膨らんで来て出番待ちです。
この紫陽花も、実家から母が持って来て
勝手に植えて行ったのが増えてしまったもの。
バラ同様こちらもホッタラカシなんですけど
花の時期には近所の方にも好評の様です。
 ことしも沢山花をつけてくれそうです。

2012年1月30日月曜日

結婚記念日

 今日は私達夫婦の結婚記念日でした。
ところが、朝実家の母からお祝いのメールが来るまで、二人とも完全に忘れ去っていました。
六年目ともなるとこんなものでしょうか・・・(笑)
でも、ご安心を。
私達二人は結婚したばかりの時より、ますます仲良くくらしてます。
もう六年になりますが、まだ六年しか経ってない?
なんだかもうずっと前から一緒にいるような気がします。


 でも、せっかくだから何か御祝いしなくてはと、今日は妻も朝から出かけたし、私もGEM ARTMARCHEの打ち合わせがあったので出かけたのですが、帰りに花を買って来ました。
考える事は同じらしく、妻もケーキを買って来てました。
夕食後に紅茶を淹れてケーキをいただきました。
結婚記念日くらいどこかで食事、とも思ったのですが、
二人でDVD『男はつらいよ』を観ながら
やっぱりお家での食事が一番、と思いました。

平凡な日常にこそ幸せの花の蕾はある、と言う事でしょうね。
これからもその蕾を膨らませていける二人でありたいと思います。
私達の結婚を祝福してくれ、今日まで支えてくれた皆様に
感謝!

2012年1月2日月曜日

謹賀新年!

 皆様あけましておめでとうございます。
毎年めぐってくるお正月に、あたりまえのようにこの言葉を発していましたが、今年ばかりはこの言葉を口にするのに心のどこかにためらいが残ります。


 震災の復興もさして進まず、それ以上に原発事故の収束等全くめどが立たないという状態。いまだに原発からは放射性物質が漏れ続けているのに、政府は福島県民の健康等どうでも良いようです。


 世界中が日本に救いの手を差し伸べてくれたのに、当の日本がいまだに原発を動かし続け、子供や女性を高濃度に汚染された土地から避難させないのを見て、世界はいったい日本をどう評価するか、と考えると暗澹たる気持ちになります。


 まあ、ワタシがここで落ち込んでいても何にもならないのは判っているのです。まずは自分の足元を固めてからでないと、他人を助ける事等出来ないですからね。


さて、年末はGEM ARTでのイベントで慌ただしく過ぎてしまいました。
気がつけばクリスマスも終わって後始末がようやく終わったと思ったらアッと言う間に大晦日。
突貫工事で年賀状をプリントしてなんとか大晦日のうちに郵便局まで出しに行きギリギリ年内に投函出来ました。
その帰り道の車の中で2012年を迎えた、という慌ただしさ。

帰宅して、結婚してからここ数年通っている近所の神社へ初詣に出かけました。
いつもは歳が明ける前に行くのでそんなに並んでないのですが、今回は新年になって出かけたので、思いのほか近所の方が並んでいました。
並びながら古いお札をお焚き上げの火にくべます。
結構灰が降って来て大変でした。
20分くらい並んでようやく参拝。
神社の方から縁起物の稲穂をいただきます。
この後がお楽しみの甘酒タイム。
毎年いただくのですがなかなか美味しいのです。


そんなこんなで、元旦の朝は朝寝坊。
昼頃起きて、風呂に入り、年賀状を見ながらおせち料理、お雑煮をいただきました。
その後はDVD『寅さん』を観ながらウトウトして、夜は恒例の
『ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサート』
なんとも絵に描いた様なお正月の一日でした。


 2011年はガラにも無くイベントの企画などという事をやらせていただく羽目になりました。
始めた以上定期的に開催、と言う声も上がるのですが・・・・。
 今まで一制作者だったワタシには荷が重い事も事実。一度に一つの事しか出来ないワタシにとっては、企画の仕事を引き受けると頭の中はそれでいっぱいになってしまい、制作する時間もゆとりもなくなるのが難点です。
 とはいえ、こんな話が舞い込むと言うのも、そういう役回りの歳になって来たとも言えるし、自分だけでなく若い作家さん達の助けにもなる事かもしれないので、ここしばらくは流れに任せてみようと思っています。


 当面制作者と企画の二足のわらじをはく事になりそうですが、今年は自分の出来る事に力を尽くそうと思っていますので、今後このブログにもそんな話題が上ると思います。


 読者の皆さんにとっても、この一年が充実したものになります様に。

2011年5月29日日曜日

夏近し!

昨夜フト気がつくと窓ガラスにお客様が。
毎年夏になると何処からとも無くやってくるヤモリ君。
ここに引っ越して来て初めて見た時は本当にビックリしましたが、家の中に入ってくる訳でも無いので、最近は慣れてしまいました。
夜になると部屋の灯りにひかれて窓ガラスにやってくる小さな虫に、忍び寄ってはパクリ!
観察しているとなかなか可愛い動きをします。


我が家の横には戦後もしばらく明神池という池が在った様で、今はすっかり駐車場や宅地になっていますが、家に前の道路もよく見るとなだらかな下りこう配。近所には水神様の祠もあります。だからヤモリ君もずっと昔からこの辺りに住み着いていたのでしょうね。


それにしても、秋冬はいったいどこに潜んでいるんでしょうか。



2011年5月18日水曜日

食事会

最近、仲間が集まっての食事会が続きました。


4/29はかつてのM装身具時代の上司を含めて、TNTN氏、相談役のO君と表参道で会食。
5/1は町田の実家で母の79歳の誕生日、父の退職を祝う食事会。
5/13は両親がTNTのメンバーを町田の実家に招いての夕食会。
そして昨日5/17TNTのメンバーに相談役のOWAX原型製作士のS嬢を交えての夕食会が表参道で。


 まあ、食事会といっても食材を買い込んでの手料理だったり、昨夜はファミレスですが。大人数で様々な料理が選べて、時間を気にせず居られるというのでファミレスが都合がいいのです。それに値段もリーズナブル!


なにしろ、こんな先行き不安な世情。
皆、独りで家に閉じこもってると鬱状態になってしまうのです。
そこで、今迄以上に会って話す機会を増やそうという事なんです。
四方山話が盛り上がる中で、ヒョッと良いアイデアが浮かんだり、ということも多々あるしね。


 昨日は先にお話しした新潟『ウン ベル ジョルノ』に行った報告も含めての会合でした。
ウレシイ事にその後ワタシのだけでなく、T女史、N氏の作品もめでたく売れたという報告。
お店をご紹介した手前実際に売り上げがありホッとしましたが、オーナーのヒロ子さんも嬉しかった様で、売り上げの報告メールにも嬉しさが溢れていたそうです。
自分が気に入って置いている商品がお客様に喜んで戴けた、というのはやはり嬉しいでしょうし、そんなオーナーに扱ってもらえる事は作家の私達にとっても有り難い事です。
出来たらそんなお店がもっとあちこちにあれば良いのですがねえ。
今後の課題です。


ところで、そんな世間話の中でも、昨日のヒット賞スポーツ音痴(?)の妻の一言。

『回転レシーブって、回転してから打つんですか?』

みんなのけぞって笑いました!
相手がスパイクを打ってから華麗に回転してレシーブ・・・って、
どの方向に回転するの?
バレリーナの様にスピン?それとも前転?
イヤ、それよりいちいち回転してたら間に合わんでしょうが!
想像するだに間抜けな映像が浮かんできます。
まあそれもさることながら、真面目な顔して聞く妻が一番オカシイ!


2011年4月2日土曜日

春を愛でる心

なかなか原発問題の進展がないまま、不安な朝を迎える日が続いています。
なぜか悪いニュースは深夜に発表されるので、明け方事態が急変したという悪い夢で目覚める事も何回かありました。
しかし、空間放射線量は東京でも少しずつではあるけれど下がって来ているようなので、最近は少し安心しています。
そんな中でも春はやって来ている様で、庭の花も一斉に咲き出しました。
先日のクロッカスも満開です。
薔薇も一気に芽吹いて来て、これからどんどん葉が出て来そうです。
近所の気の早い桜も蕾を膨らませているようです。

地震、津波、原発事故とトリプルパンチで
『国破れて山河在り』
今の日本はそんな感じでしょうか。
でも、春は今年もやってきてくれました。
だから『試練』だけど、
決して『天罰』なんかじゃないと思います。

 これからやってくる春は文字通り冬を乗り越えた再生の春』
美しく輝く花や新緑は、悲しみや苦しみを乗り越えるエネルギーを私達だけでなく被災者の方々の心にも充電させてくれるのではないでしょうか。
悲しみに打ちひしがれたこんなときこそ心にゆとりをとりもどし、これから踏み出す一歩を良く見極めなくてはいけないと思います
これからいろいろ大変だけど、美しい自然と四季のある日本に住む幸せを再確認して、郷土再生の意気を高めようではありませんか。
日本はそれだけの苦労をする価値がある国だと

そのためにもお花見を自粛するなんてとんでもないと思います。
まして、一自治体の首長が自分の私心を権力をもって市民に押し付けるというのはいかがなものかと思います。
今後の復興の為に地域や職場のコミュニティーの団結をより強める為にも、出来る人達はどんどんお花見しても良いと思います。


 世界中が日本人の危機においても冷静な行動に感心しています。
こんな時でも日本人は自然と一体なんだ、春を楽しむ心のゆとりがあるんだ、と思わせようじゃありませんか。

2011年3月22日火曜日

節電

 先日来、計画停電を避けるため首都圏では様々な所で節電が進んでいます。
しかし今後電力状況はそんなには急に復旧しないでしょう。
首都圏の電力の三割近くを担っていた福島原発が当面稼動出来ないどころか、廃炉せざるを得ないからです。
又、東電が新潟に持つ柏崎原発その他の原発も、世論を受けて今後停止や点検を余儀なくされるのではないかと思います。
それに新潟や青森で発電して、はるばる東京まで送る時点で送電ロスが生じるのですから。
これを機会に、潜在的に危険をはらんでいる原発を一機でも減らせる様にしていくべきでしょう。
だからいっそ、今のこの節電状態を普段の状態にするべきです。
現在の供給を上限として、その範囲内かそれ以下になるような生活に切り替えて行く必要があると思うし、むしろ日本中そうすべきなんだと思います。


 不要な広告照明をやめるのはもちろん、これを機会に今使っている照明も早急に省エネ型のLED照明などに切り替えて行く必要がありますね。
停電で問題になった信号機等は太陽電池や蓄電池と組み合わせ、ある程度送電網から自立させる事も考えた方がいいのかもしれません。


 高速道路の夜間照明も考え直せませんか。
センサーを使用して一台も車が走ってない区間は照明しないようにするか、入り口、出口、ICSA周辺のみの照明にする。
昔イギリスで高速道路を走ったとき、郊外には全く道路照明が無かったです。でも車にはヘッドライトがついてるんですから。
逆に郊外の住宅地の生活道路(特に交差点や歩道)には照明を充実させて欲しい。


メリハリを付けて節電都市を実現させたいものです。

2011年3月15日火曜日

再構築

福島で起きている原発事故で余談を許さない状況が続いています。
ここに来てようやくアメリカの専門家やIAEA(国際原子力機関)に協力を要請した様です。
あまりに遅いタイミングにあきれ果ててしまいます。
 うっかりミスで燃料切れを起こし炉心の燃料棒が露出してしまう・・・なんて呆れた話に象徴されるように、東電の事故対応能力や危機管理能力に疑問符がつくのですが、責任追及は危機を脱してからにしましょう。


 さて、今日から始まった計画停電。
今回の原発事故が主な原因で電力が足りなく成った訳ですが、今後国家全体の危機管理を考える時に、一地域一社独占という今の電力ネットワークは再考しなくてはいけないんじゃないでしょうか。
残念ながら日本は歴史的経緯から東西で送電されている電気の周波数が異なり、現状ではそのままでは東西に電力を送り合えないのです。
そのため中間に変電所を設けて周波数を変換しているのですが、その能力が平時はともかく現下の状況には間に合わないくらい低かったのです。


 今後日本全体で電力を融通出来るように、なんらかのシステム変更が必要でしょうね。
根本的に周波数をどちらかに合わせるというのは多分不可能でしょうから、各社が持つ送電ネットワークを電力会社とは別会社にして一つにまとめ、需給のバランス調整はそこに受け持たせるというようなシステムにした方がいいのではないでしょうか。
 もう一つ、今回の事故で思ったのは大規模発電所を遠隔地に作って長距離を送電する、というのはリスクが大きい。そこがつぶれたら今回の様に一気に電力不足になります。
もっと発電設備は小規模な物を分散させる方がいいのではないでしょうか。小規模分散発電です。
 
 今でも大きな工場やコンビナートでは自前で発電設備を持っています。そこで余った電力は電力会社に買い取ってもらっている筈です。これをもっと拡大するのです。極論すると工場だけでなく公共施設、学校、商業施設、各家庭、まで発電出来るところではとにかく発電して、それを送電ネットワークで繋ぐと言うもの。各家庭の太陽光発電や、都市ガスから燃料電池で起こす電力、風力発電、小さな山村の低落差水力発電、海や川の水温差を使った発電、地熱発電、千葉あたりでは天然ガスも出るからそれでも発電。酪農場では家畜のし尿から出るメタンガスを使った火力発電。これらに蓄電池を組み合わせていけば、いずれも一つ一つは小規模ですがそれを集めれば今回の様に一気に電力がシャットダウンする事もなくなるんじゃないでしょうか。
仮に災害等で最悪ネットワークが損傷しても、その場で少しでも電力が取り出せればかなり助かりますよね。


 モチロン素人考えで、一朝一夕には出来ないことだし平時にやろうとしてもなかなか出来ない事でしょうが、今なら国民の同意を得やすいのじゃないでしょうか。
政治家には明日を見据えた復興政策を提示してもらいたいと思いますね。

それにしても、一声かけたら皆で節電。かなり電力使用量が下がった様です。
これが日本人の良い所ですね。
反面、今日も首都圏で食糧品を買いあさる姿が報じられましたが、チョット情けなく思います。
どんなに不便でも、家を失い着の身着のままお風呂にも入れない避難所生活を余儀なくされている被災者の事を考えたら、
私達は多少の不便は我慢しなくてはね。
本当に不要不急の買い物や車の運転は止めましょう。

2011年3月11日金曜日

春の報せ 2

今日は少し暖かいせいか玄関前の鉢植えの花も元気に咲いています。
に出てみると、先日のクロッカスの隣、薔薇の根本に花ニラとおぼしき蕾も一輪・・・。
すっかり葉を落とした薔薇や山椒の枝にもよく見ると小さな花芽がプチプチと顔を出して来てます。

小さな鉢植えの薔薇から大きく成長してくれた我が家の薔薇。
本当は冬の間に肥料をやったりしてあげないといけないのに、作品展があったりで余裕もなく
可哀想にほとんどほったらかしなんですが、
今年も沢山花を咲かせてくれるでしょうか。

2011年3月9日水曜日

春の報せ。

猫の額程の我が家の庭に、毎年春になると現れる春の使者。
クロッカス・・・だと思うんですが。
 我が家に咲く様に成ったのがいったい何時からだったかハッキリ覚えていないのですが、結婚してからは家人と二人楽しみにしています。
自分で球根を植えた記憶も無いので、どうしてここに?と不思議なんですよねえ。
通りがかりの誰かが植えて行くなんてありえないでしょうし・・・。


ともあれ、毎年今頃気がつくと小さな芽が黒い土から頭を出しているのです。
健気ですねえ〜!

また、花を咲かせたらお報せしますね。

2011年1月14日金曜日

アクアマリン

 今日は、久しぶりに家人と町田市にあるワタシの実家に帰りました。
忙しかったり風邪引いたりで正月も帰らなかったので、今年初めてです。
昨年末の個展に出品した作品をお気に召して下さった母の友人で『五人会』M・Mさんが、実家で母がやっている木彫教室にいらっしゃると言う事で、作品をお持ちしたのです。


 三時頃行って木曜日の教室の皆さんとお茶を戴いたのですが、どうやら今年はじめてのお教室だからか、朝から全く作業をせず食事とオシャベリの連続だったようです。
 この木曜日のクラスは気の置けない方が集まっていて、それぞれ得意なお料理やお手製のお菓子を持ち寄ったりしています。
なかでもKさんは、町田の実家迄はるばる海老名から車で通って来られるのですが、ご主人が家庭菜園で野菜を作ってらっしゃるせいか、朝とれた完全無農薬有機野菜や自家製ベーコン、薫製等を持って来られるのです。
そんなわけで、毎週お昼ご飯はそんな食材でちょっとしたレストランより美味しい料理がズラッと並ぶのです。
今日はお昼ご飯こそ逃しましたが、M・Mさんが焼いて来られたキャロットケーキを戴いて帰宅、夕食後にいただいたのですがあまりの美味しさに
『これならお金とれるし、お店で買うより美味しい!』
と家人も大感激。
いや〜、ベテラン主婦パワー恐るべし、です。


さて、話は変わって・・・今回楽しみにしていたのは、去年のお正月に急死した愛犬のパールに替わって、家族に加わった子犬に初めて会う事。
父の散歩の供だったパールが居なくなって父も一人では散歩に行かなく成り、おかげで足が弱ったと訴えるので、迷いましたがもう一度子犬を飼う事になったのです。
パールもそうですが、我が家は代々ヨークシャー・テリアを飼って来ました。だから今回も同じ犬種です。
 確か八月か九月頃に産まれたメスの子犬は、十月頃に実家にやってきました。まだ手のひらに乗るくらいの大きさだったそうです。
ワタシは丁度個展の準備で忙しくて、今日迄なかなか対面の機会が無かった訳です。
名前は『マリン』と決まりました。
亡くなったパールエメラの姉妹はルビーの子供でした。
ルビー以来なぜか宝石の名前を付ける様になったので、今回もアクアマリンから名前をとったそうです。

 まだ予防注射を全部済ませていないので外に散歩には行けないそうですが、歯が生え始めてるせいかとにかく何か齧っていたい様です。
でもメスだからかおとなしく、全くと言っていい程吠えません。
今はまだトイレの躾中だそうですが、なかなか賢そうです。
とにかく、元気で長生きして欲しいものです。