2012年6月26日火曜日

誉めて育てる

最近、自己嫌悪感にさいなまれて何も出来ない、という日が続く事が多くなった。
理由はいろいろあってここでは書きたくないが、根本的な原因は
『自分は周囲から必要とされていないし、貢献もしていない』
と思ってしまう事。


 もちろん家族もいるし友人にも恵まれているから、決して必要とされていない訳ではないし、そこまでいうならその人達に貢献しろよ、という声は内心でも上がるし重々承知しているのだが。
でも、身の回りの人達やかつての教え子達が様々に活躍をしているのを見聞きするに付け、『それにひきかえ自分は・・・』と落ち込んでしまうのです。
負けない様に自分も作品創って発表するなり職人として立派な仕事するなりすればいいのですが、そのエネルギーが湧いて来ない。


『自分の仕事等、世の中に認められる程のものではない』というのが心の奥に在るからです。
モチロン私だけでなく、多くの人は自信満々ものを作ってる訳ではない事は解ります。
自分が作ったものを喜んで下さる方が、少数ながら居る事も承知しています。
自分が社会に対して発信して来なかったから認められてないという事も。
で、いろいろ考えた堂々巡りの末に、考えてるだけの自分に自己嫌悪に陥るわけ。
我ながらイヤになります。


それと関係あるかどうか解らないけど、結婚して家人と話していて『違うなあ』と思うのが、子供の頃誉められたか、という話。


家人は何をしても御両親から良く出来たねえ!と誉められて育ったそうです。
それに引き換え、子供の頃から聞き分けが良く物覚えも良く、弟を可愛がる、親にとっては『良く出来た子』だったせいか、『出来て当たり前』と思われていた様で、小中高と親からそんなに誉められた事がありません。


モチロン、愛情を感じていなかった訳ではないのですが、考えてみると父親等は時代のせいか仕事で朝から晩まで家に居なかった。
学期末に成績表を見せても、五段階評価で5があっても誉められないし、いわんや4以下があると渋い顔されたもんです。
親の欲目からか『やれば出来るんだから』『もっと出来る筈なのに』という訳です。
自分では親なんてそんなもんだろうと思ってましたし特に傷ついたりはしなかったけど、家人から言わせると『考えられない』そうです。


こういう『誉められたい人、認められたい人に誉められないで育って来た』事が、今の自分の自信の無さに繋がってるのかなあ、なんて思ったりもします。
まあ、今更親を責めても仕方ないし、自分で乗り越えなくてはいけないのですが。


で、気になるのが昔教えた生徒さん達の事。
学生時代にそういう評価もらってると、実社会に出て謙虚に働けないという自身の反省もあったので、かなり出来る生徒さんにも最高評価のAをつけてあげなかった。
後半になって、厳しく努力はさせるけど頑張った結果を出した生徒さんは皆の前で評価してあげるという風に変えましたが。


 技術を教える専門学校と趣味で学ぶ彫金教室とは違うと思うのですが、尊敬する先生に言われた『良いじゃない』の一言でどれだけ心が沸き立ったかを思い出すと、成績として残る客観的な評価とは別に、もっと誉めてあげた方が良かったなあ、と思うのです。


今更言っても『後悔先に立たず』ですが・・・。



2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

後悔は約に立ちます

titanium-jeweler さんのコメント...

コメントありがとうございます。

確かに後悔は私の人生には役に立つけど、彼らの人生にどう影響したかと気になるのです。