2012年7月16日月曜日

西宮市立高木小学校

先日スキャナーを買って以来、過去に撮影した写真のデジタル化を少しずつ進めているのですが、30年前に関西に旅行した際に通っていた小学校を再訪した時のスライド写真が出て来ました。


 大阪に行った時は泊めていただく親戚のお宅から、大阪梅田駅にやって来ました。


地下鉄御堂筋線から阪急電車に乗り換える時に通るコンコース。
今は耐震性の問題でここはもう取り壊されてしまって無いそうですが、つくづくモッタイナイ!

天井から下がるシャンデリアと言いモザイク画と言い、
優雅な空間だったのですが。
 このアーチ天井の空間は私が子供時代には無かったのですが、
既にここも無い様です。
 阪急電車に乗って西宮北口で下車。
震災の後再開発で無くなってしまった北口市場。
同級生の家がここでお菓子屋さんをやってました。
 
 中に入って行くとオモチャ屋さん。
ここは良く利用してました。
 少し歩くと、一年から四年まで通っていた高木小学校。当時は校庭も広く感じたけど、大人になって行くと狭いねえ!
 このジャングルジムの様な遊具は私が入学した時からのものです。
 こちらは給食室。
この台の上に出来た給食、ビン入りの牛乳が並んでて
給食係が取りに行くのです。
 こちらが、普段使っていた校門。
右側に足場が組んであるのが、入学した時からある校舎です。
この校舎も、数年前訪問した時に耐震性の問題で取り壊されました。
目の前で取り壊されてるのを見て、ちょっとショックでしたね。

 左側は在学中、古い木造校舎が火災で焼失したので新しく建った校舎。
先程のジャングルジムの横に建っていた二階建ての木造校舎には二年生の時入りましたが、いつも床に塗られたWAXの匂いがしてましたね。
けっこう立派な図書室があって近隣では有名だったそうです。
当時から本が好きで、図書室は良く利用していたので、
火事の跡に燃えかけたり水を被った本がいっぱい積んであったのをみて、『モッタイナイなあ!』と思ったのを今でも思い出します。

校門を出て当時住んでいた家に向かうと
道の周りは畑や田んぼばかりでした。

冬は積み上げられた馬糞から藁の匂いの混じった湯気が立ち上り、
水田にはカブトエビが泳いでました。

 こちらの会社、どうやらカメラ部品の有名な企業らしいのですが、時々この前に真っ赤なアメ車が停まっていました。
60年代のフィンテールの派手な車にワクワクして見とれてると
多分社長さんの車なんでしょうが、秘書の女性がリアのナンバープレートのうらに隠された給油口を見せてくれたのを覚えています。
自分だけがその秘密を知った様でドキドキしたなあ!

 家に近づくと道の横に用水路。
ここでは写真の様に収穫した野菜を良く洗ってました。
今でも冬の朝、穫れたてのネギを洗う匂いが甦るようです。
 住宅が増えて用水路にも蓋がされてしまいましたが、
昔はきれいな地下水をポンプ場から流していた様で底に白い砂が溜まり、
冷たく透き通った水に金魚藻が揺れていました。
だから、夏は用水路でもっぱら水遊びしてました。
畑の中に建ってるのが、当時住んでいた四階建ての社宅。
私達が引っ越した後すぐ近くに小学校が出来て、今では高木小学校には通わない様です。

 当時習っていたヴァイオリンのレッスンには家から近くの駅まで歩くのですが、畑の中を近道します。
 ところどころにこんな塚があってお墓がありました。
畑を抜けると八幡神社。
 ここはいつもシーンとしていたなあ。

神社の中を抜けると社殿の前にこんな砲弾が祀ってあります。
今でもきっとあるのでしょうね。
 広い国道を渡って住宅街に入ると、こんな社があります。
 ここに飾ってある額が、子供心に強烈に焼き付いてます。
地獄を描いた額なんです。
えんま大王や赤鬼が居て針の山に亡者が追い立てられてる、という様な絵です。
見る度に母に『嘘付いたり悪い事すると地獄に堕ちて舌抜かれる』と言い聞かされたもんです。
『そんなの作り話でしょ!』と思いながらも、どこか心の奥に刻み込まれてるもんですね。
此処を足早に通り過ぎて着く駅が門戸厄神駅
そこからまた阪急電車に乗って西宮北口に戻ります。
下の写真が駅のコンコース 
乗って来た車両の中はこんな感じでした。
内装は木製パネル風になってます。
車内広告が殆ど無いのがよく解ると思います。 
こちらが西宮北口駅から出た所。
タクシー乗り場です。
 タクシー乗り場の位置から前の広場を見るとこんな感じです。
 駅の南側にあった西宮球場跡地が阪急西宮ガーデンズになりましたが、最近のグーグルマップ・ストリートビューでもこちら側はあまり変わってない様です。


 数年前に妻と再訪した時は、アパートの周りは住宅が建ち並び、すっかり様子が変わっていました。
学校の周りも震災以降再開発されて道路も広くなり、なんだか昔の面影はありません。
変わらないのは家の近所の武庫川、西に見える甲山や六甲山系だけになった様です。
しかし、たった四年間しか住んでないけど、やはり私には此処が故郷という気がします。
物心つく頃に過ごす環境って、その人間の心の土台に成るのかもしれませんね。

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