2012年7月18日水曜日

北陸学院短期大学付属幼稚園

小学校は兵庫県西宮市でしたが、その前の幼稚園の二年間は石川県金沢市に住んでいました。
今回は、そこで通っていた幼稚園に1988年再訪した時の写真です。


 当時住んでいた社宅から、同じ幼稚園に通う子供達何人かで通園していたのですが、今なら幼児だけで歩く等考えられない距離だと思います。
しかも、引っ越して行った昭和38年は記録的な豪雪で、冬は玄関が埋まるまで雪がつもり、二階の窓から出て子供用のスキーを履いて通ったんですよ。
通園の行き帰りに必ず通ったのがこのお寺の脇の急坂。
石段はあったけど、昔は舗装されてなかったと思います。
子供の時は階段脇の鉄製の手すりの場所に、築地塀があったと思うのですが。
坂を登り切った所から見ると金沢の市街が見渡せます。
向こうに見えるのは卯辰山(うたつやま)
スキー場があって産まれて初めてスキーをした場所です。 
ここを登り切って広い通りに出ると幼稚園はもうすぐ。
北陸学院短期大学付属幼稚園です。
下の写真左側に建つコロニアル様式の木造建築が
当時のままで残っていました。
 1891年アメリカ人宣教師トマス・ウィンが建てたこの建物は、1988年の撮影当時はウィン幼稚園として実際に幼稚園だったようですが、現在は学院の資料館になっているようですね。


当時はその価値等全く解らなかったけど、こんな文化財クラスの園舎に毎日通っていたんですね。
たまたま一番近かったからなんでしょうけど、両親に感謝、です。


 ミッション系の幼稚園で、クリスマスになるとキリスト生誕の劇を父兄に披露したのを覚えています。私は東方よりの三博士の一人だったそうです。
昔の事は良く覚えている母によると、その劇で聖母マリア役だった女の子の事を『○○ちゃん、すっごくキレイなんだよ!』と、べた惚れだったそうです。
昔から美女には弱かったんですね〜。
キョウコちゃんと言ったかな、先程の坂の下に住んでいたと思います。
今どうしていらっしゃるやら。
幼稚園で同い年だから、お互いもうマッタク面影無いでしょうね。


 哺育系の短大に付属していたので、多分先生方もそこから来られていたのだと思いますが、若くて美しい先生だった。
今思えば二十歳そこそこなんでしょうが、昔の写真見ても今の同年代よりは大人に見えるなあ。


ところで、金沢の街を歩いていて出逢ったこの車。
豪華絢爛な霊柩車!
こういう車は地域によって決まり事や特色が在るのでしょうが、これが金沢スタイルなんでしょうか。
ベース車両もクラシックだけど、装飾がこれまた豪華!
さすが加賀百万石!手のこんだ彫刻に金箔が貼られ、
美術工芸品の様です。

金沢には二年間しか住まなかったし、記憶も薄れてるのですが、
年齢的に当時の父や母にはとても印象深かった土地の様です。
社宅の皆さんとも仲良く楽しいお付き合いが出来て、
今でも、当時ご近所だった方とはお付き合いが続いています。




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