2011年2月4日金曜日

追悼!

久しぶりの投稿です。


 先週末はビッグサイトに国際宝飾展を見学に行ったりしたのでその事を書くつもりで居たのですが、月曜朝に突然母から電話が・・・。
年老いた両親から早朝深夜に電話が在ると、悪い報せではとドキドキするものです。
今回は想定されるものでは無かったものの、親戚の不幸でした。
私の母方の祖母のお兄さん、母には伯父サンの奥様が亡くなられたという報せでした。


 以前も書いたかもしれませんが、母は女学生の頃甲子園で伯父サンと同居していたのです。
戦後別々に暮らす様になった伯父サンが再婚されたのが、今回亡くなられたフミコさんでした。
伯父サンとフミコさんのお子さんが、母には従兄弟(イトコ)にあたる私と10歳はなれたコージさん。
私が産まれた頃は大阪近郊に住んでいたのですが、伯父サン家族も少し離れた所にお住まいで、母がフミコさんお姉さんと呼んで慕っていた事もあって、時々家族でお邪魔したりしていました。
小学校の半ばで私達家族は東京に来てしまいましたが、その後も何かと家族ぐるみでのお付き合いが続いていたのです。
近年は体力も衰えた為施設に入られていたのですが、一月末日に永眠されました。
特にどこか病気を抱えていた訳でも無く、老衰で汐が引くように息をひきとられたと聴いて、私達家族も哀しいけれども穏やかに受け入れる事が出来ました。


ワタシにとって、子供の頃からフミコさんはいつも家に居てニコニコ優しい顔しか記憶になく、結婚して初めて妻を連れて伺った時も大変喜んでくれました。
その後しばらくして入院されてらっしゃるのをお見舞いに伺った時も、妻の名前をしっかり覚えていらして驚くやら感激するやら・・・といった思い出もあります。


当初は両親のみ伺うつもりだったのですが、偶然妻も二連休だった事もあり、両親だけでは心配なので私達も同行して葬儀に参列させていただく事にしました。


お通夜の会場でフミコさんに再会したのですが、私が産まれる前からのお付き合いの母はやはり号泣してしまいましたねえ。
晩年背中が丸まってしまい、横になっても仰向けに寝られなかったフミコさんが棺の中に真っすぐ横たわってらっしゃる姿を見て、
「もう不自由な肉体から解き放されたんだなあ〜!」
と感慨深かったです。


 祭壇の中央に飾られた微笑むフミコさんの写真、コージさん
『エエ写真やろ、アレ☝』
と言われて、なんだか見覚えが在るなあと思ったら、まだお元気な頃に伺った時に恥ずかしがるフミコさんをワタシが撮影した写真でした。ご家族にも気に入っていただけて、こんな時にお役に立てたのが嬉しかったです。


 翌日の告別式後に火葬され、骨上げにも立ち会ったのですが、魂が離れてしまった肉体が真っ白く浄化されたとでもいうのか、まだ余熱が残る炉床の上の遺骨を見ても不思議と哀しくはならなかったのが意外でした。モチロン身近に接してらしたご家族はまた違う感慨をもたれたでしょうが。
思い返せば祖母の葬儀の時もそんな記憶があったのですが、表情の残る遺体とあまりにも違う熱く白い遺骨が故人の記憶に結びつかないからでしょうか・・・。


 初七日の法要も済ませて帰京したのですが、四十九日の法要・納骨にはワタシだけでなく子供の頃可愛がってもらって今回参列出来なかった弟も参列出来ればなあ、と思っています。

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