2010年3月12日金曜日

ご神木

先日ニュースを聴いていてビックリ!
鎌倉鶴丘八幡宮の大銀杏が、折からの雪まじりの風で根本から倒れてしまったそうです。
2009年の正月にTNTのメンバーや友人と一緒に初詣に行った時にも、雄々しくそびえたっていましたからね。まさかあんな大木が?という想いです。


 鎌倉時代にはもう大木になっていて実朝公暗殺犯がその陰に隠れていた、というから樹齢も千年近い古木。
木の寿命って、そもそもどれくらいのものだか解りませんが、縄文杉なんてのが在るくらいだから、条件さえ良ければ少なくとも二千年くらいは生き続けるんでしょうね。


 八幡宮のみならず各地の社寺にご神木が在ると思いますが、その土地の歴史の目撃者になるわけです。
人々が産まれたときからソコに在り、春は花、秋は紅葉と四季折々様々な表情を見せながら山河や人々を先祖代々見守って来た木。
森羅万象に八百万の神を見た日本人は大木、古木にも神が宿ると感じ信仰の対象に成って来ました。
それがある日突然失われる喪失感というのは、かなりのものでしょうね。


 普段当たり前の様に在る物が失われて初めて、その存在の大きさに気づく・・・良く在る話なんですが、八幡宮の関係者を始め地元の方々のショックはいかばかり、と思うと本当にお気の毒です。
それにしてもイチョウがない八幡宮・・・でも、今産まれた人にはそれが当たり前の風景に成るんですねえ。
きっと地元では『此処にあったんだよ〜!』って親から子に語り継がれて行くんでしょうね。


 話は似てるけど、先週まで在った建物がある日突然更地に成ってる・・・なんて事が良く在りますが、そうなってみるとお気に入りの店ならいざ知らず、以前何が在ったか意外に思い出せない物ですよねえ。
どうやら、人の心にどれだけしみ込んでるかで語り継がれるか忘れられるかの差が出るんですね。


考えてみると人間も同じですね〜。
いつまでも語り継がれる人もいれば、人知れず忘れられて行く人も居る。


願わくば、悪名で語り継がれる様には成りたく無いもんですね。





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