2011年8月15日月曜日

映画『フラメンコ』カルロス・サウラ

 アヤ子さんのブログカルロス・サウラの名前が出て来たので、懐かしく成りました。
かつて『血の婚礼』『カルメン』『恋は魔術師』等のフラメンコ三部作で、アントニオ・ガデス、クリスティーナ・オヨス達を世界に紹介してフラメンコの素晴らしさをワタシに教えてくれました。初めてガデスの踊りを見た時はホントにその格好良さにシビレマシタ!
http://youtu.be/lWvM2VlRD6k
その監督がイタリアの撮影監督、巨匠ヴィットリオ・ストラーロと組んだ作品
『フラメンコ』
http://youtu.be/TLJjHwVj1Mk
 アンダルシアの古い駅舎を撮影スタジオに改装して、ホアキン・コルテス、ギターのパコ・デ・ルシアを始めスペイン中のマエストロ達が集まり様々な演奏や踊りを披露してくれます。


 先の三部作と違って、ストーリーがある訳でもなく、出演者も美男美女ばかりではないのです。
なんだか、商店街の会長さんとか農協、漁協の支部長さん、婦人会のベテラン、を思わせるごく普通の初老の男女が歌い、踊り、奏でる歌や踊りが、なんと切なく熱く胸に迫る事か。
いずれも恋や愛の歌が多くて、男と女の出会いや別れ、その歓びや離れている切なさや時には恨みと言う、愛を巡る情念の世界。


 日本なら『いい歳をしてそんな歌を歌うか』という内容の歌を、シワだらけの顔で金歯むき出しで歌うのですが、封切り時に映画館で見ていて、なぜか不覚にも涙してしまいました。
考えてみれば愛する事は人が人として生きている歓び。
幾つに成ってもその年代相応の恋をして歓び悲しむ事は、生きている事を楽しむという事ですものね。
その歓びをおおらかに歌い上げる事は、考えてみれば決して恥ずかしい事ではないですね。


 歌い手とギターが組んで高らかに唄い上げると言うのを見ていて、なんだか日本の文楽・義太夫を思い出してしまいました。
こちらも歌い手の太夫は、名人と言われるのはみなさん七十代以上。
 実際に劇場に出かけて太夫と三味線の近くに座ると、噴き出る汗が飛び散らんばかりに唄い上げて、変な話ですが血圧が上がり過ぎてどうにかなってしまわないか心配になる事もあります。
 しかし唄う内容はあちらとは違って不条理な悲しみです。
不義の愛故に心中するとか、主君への忠義の為に我が子や家族を殺すとか・・・。
当時の社会の規範に添う為に、人間としての情愛を犠牲にしなければならなかった人の哀しみを唄い上げるのです。
社会の安寧の為の自己犠牲が賛美される・・・。
どうやら伝統的な日本文化の根底に流れていたこういった精神が、現代に至ってもまだまだ流れているのかもしれません。
日本人の美徳でもあり、欠点にもなり得るところでしょうね。


 しかし映画『フラメンコ』を観ていて、かの国のフラメンコの層の厚さに感心しますね。老若男女が集って同じ曲で唄って踊れるって素晴らしい事だと思うのですが、日本にはそんな歌や踊りがあるでしょうか。夏祭りの盆踊りくらいしか想い起こせません。
 たしかスペインには国立のフラメンコの学校があったと記憶してます。
翻って、日本にはフラメンコの様な日本の民謡や郷土芸能を教える国立公立の学校が無い。
たしか芸大には邦楽科が在ると思ったけど、数少ないエリートにのみ伝承しても裾野を拡げてやはり子供の時から慣れ親しんでいないと、文化は継承していかないのではないだろうか。
 ・・・といって、公立小中学校で音楽の教員が邦楽の授業、というのは違うだろうな。
義務でやらせても楽しくないし、こういう事は地域密着世代間の伝承でないとね。
地域の伝統に誇りを持ち、仲間や年長者を尊敬する気持ちも養えない。
その点、日本各地にねぶた、岸和田だんじり祭り、京都祇園祭、越中風の盆、阿波踊り等の、世代を超えて構成され伝承されるお祭りが残っているのはまだ救いがあるかな。

年に一度、祭りの為に老若男女が力を合わせる。
そんな思い出が毎年積み重なって、男も女も祭りと共に成長して行く。
そんな祭りを持っている地域に生まれて暮らす人は、幸せだなあと思います。


閑話休題、映画『フラメンコ』・・・上記のアドレスでYouTubeでも続きを見る事が出来ますが、DVDで出てる筈です。
DVDなら歌の歌詞の和訳も字幕で判ると思うので、お薦めです。

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