2010年5月14日金曜日

川村記念美術館

今日はTNTのメンバープラス私の妻、そしてもう一人、の五人で千葉県佐倉市まで行って来ました。
川村記念美術館は緑の林と池を配した広大な敷地に建つ、現代美術コレクションで有名な美術館です。
なかでもマーク・ロスコフランク・ステラといった人の作品で有名。
館内には専用の展示室が設けられています。


彼らの作品もそのスケールの大きさに驚きましたが、今回改めて感動したのはシャガールでした。


 彼の作品展は日本でも開催された事があるし何度か観に行って実物を見て来ましたが、今回はガラ〜ンとした展示室で間近にゆっくり鑑賞出来たせいか今迄とは全く違った印象でした。


 彼のファンタジックな絵と色彩から、少年のナイーブな心を持ったまま大人に成った人なのかなあ〜なんて思っていたのですが、至近距離からキャンバスを見ると、チューブからキャンバスに直接出した絵の具を筆でなすり付けた様にも見える、絵の具の固まりまではっきりと残っているのです。
 しかもかなり大きな作品だから細密にチマチマ描いた物ではなく、全身の力をこめて筆を走らせた、という感じがするのです。


 作品には作者の内的な宇宙が反映されたり、その宇宙を形作った歴史が刻まれていると思うのですが、パリに住んでいるけれどロシアに産まれたユダヤ人であるシャガールの歩んで来た人生に思いを馳せたとき、彼は決して夢見る少年ではなく内に秘めた自分のアイデンティティーが沸々とたぎり、ほとばしる様に絵を描いていたのではなかろうか・・・・と、彼の絵の本質に近づけた様な気がしたのです。


 誰のために描いたのでもない、誰にも止められない衝動が彼の筆を走らせていたんだと思ったとき
『ああ!彼は芸術家(アーティスト)だった!』
と今更ながら合点がいきました。


 そう言う視点で絵を見はじめると、隣の展示室に陳列されたレンブラントの肖像画等は本当に細密に光と陰を捉えてはいるものの、彼はアーティストではなく職人の部類にはいるのではなかろうか、とすら思えて来ます。
確かに王侯貴族に頼まれて描いてる絵は、シャガールの絵とは本質的に違いますよね。


そう言う意味では、ミケランジェロもアーティストではなく職人だったかも。


やはり印象派以降忠実な描写と言う物から解き放たれて初めて、画家はアーティストに成り得たのかもしれないなあ。


 そんな思い出展示室を移動すると、様々な現代美術の展示。
ロスコにしてもステラにしても、シャガールとは違った表現ながら自分の内心の宇宙を表現しようとしてる・・・と思えて来ました。
しかし、シャガールにしてもステラにしても作品のスケールの大きさには、あれだけの大作に立ち向かうエネルギーの大きさを考えて敬服してしまいます。
食べてる物の違いだけでなく、アトリエも半端じゃない大きさなんでしょうが・・・・。


日本に住んでるとあんな作品は産まれて来ないだろうなあと思いますね。


 今回こんな風に感じられたのも、自分の作品を世間に発表して見てもらう様になったからだと思います。
作品に自分が反映されてしまう恥ずかしさを身を以て体験し、創作意欲が自分の中から簡単に湧き出て来ない苦しみを味わって、今更ながら
『ああ、俺はアーティストじゃなかった!』
なんて事に気がつかされたからでしょうね。
それを踏まえて彼らの作品の前に立つからこそ、神々しささえ感じてしまうのです。


 今迄なんとなく現代美術は難解で敬遠してましたが、これからはちょっと変わりそうです。

今日は本当に行って良かった!

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