2010年6月28日月曜日

クチナシの花

今では指輪も廻る程〜


 渡哲也の名曲がありますが、最近歩いていてクチナシの花の香りが漂ってる所があったりして、梅雨も夏に向かってるんだなあと思う好きな香りの一つです。
この花の香りでいつも思い出す記憶があります。
もっとも、歌の歌詞の様な色っぽい話でも哀しい話でも無いのが残念ですが。


 香りは記憶に直結している事もあって、それに触れる度に思い出すシーンや人があるわけですが、不思議と子供の頃の事ってあんまり香りと直結してないような気がします。
特に花の香りなんかでは・・・・。


子供の頃にもどこかでクチナシは咲いていた筈なんだけどね。
それとも、今程園芸用としてあちこちに植えられていなかったんでしょうか。


クチナシにしても春先のジンチョウゲ、秋の金木犀と記憶に残るのは中学生以降になります。
それまでは、花の香りなんかあんまり何とも思わなかったと言う事なんでしょうかね。


 小学生の頃住んでいた社宅は畑の真ん中に建っていたので、周りには肥だめも幾つかあって夏は微妙な匂いがその周りに漂ってたり、冬の朝には収穫したネギを通学路沿いに流れる農業用水で根っこに着いた土を洗うんですけど、その鮮烈なネギの香りや、寒い朝肥料用に積まれた馬糞の山から湯気が立つ匂いなんかは今でも鮮烈に思い出せるのに、花の香りと言うのは記憶に無いなあ・・・・。
男の子と女の子は違うんですかねえ。
それとも住んでいた環境の方が大きいのかな。
住宅街の中で育てばそんな香りに触れる機会がもっとあったのかもしれませんね。
やっぱり『氏より育ち』ですねえ。

『孟母三遷』と言いますが、
こんなところにまで影響する訳ですから馬鹿に出来ないですね。



0 件のコメント: